日本における開発の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:33 UTC 版)
田植機が発明される前の日本の田植は、足元の悪い水田の中で身体を二つ折にし、腰に括りつけたびく(籠)などに入れた稲の苗を手で数本ずつ植えていく過酷で単調な作業であった。 田植機は日本では明治時代から研究され始めた。宮崎県の農民発明家、河野平五郎が1899年(明治31年)に田植機の特許第1号を取得した旨の記録がある。 人力による田植機は1960年代に実用化が始まった。国立科学博物館の記録によれば、国産実用化第1号機は、北海道千歳市の企業が1964年に開発したもので12列の株を同時に植えられる機能があったとされる。また、動力式のものも1967年には開発されており、作業効率の大幅な向上に寄与した。 1970年代から1990年代にかけて、田植機の技術革新と普及が急速に進んだ。1980年代後半には、今までの植付け方式であったクランク式からロータリー式が実用化。田植え時の作業能率(スピード)が格段に上がる。これ以降、全農家の半数が田植機を所有し、ほとんどの田が田植機によって田植えされている。 1998年にはヤンマー(農機事業部。旧・ヤンマー農機、現・ヤンマーアグリ)が歩行型田植機と同程度の廉価の乗用田植機Pe-1を発売し大ヒット。他社も急遽追随し急速に乗用型が普及した。現在歩行型の販売は年々減少している。 1990年代から赤外線やレーザー光線を使った無人機の開発が進められ2005年にはGPSを活用した無人の田植機の開発が進められていることが発表されている。 2007年には、世界初の自動植付け機能が搭載された田植機が販売された。
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