新庄延伸へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 20:08 UTC 版)
1993年7月、山形県は山形新幹線の新庄延伸を翌年度における重要事業として推し進めることを決定し、1994年1月、県、沿線市町村、民間団体の結束によって「山形新幹線新庄延伸推進会議」が発足した。加えて同年9月には県からの呼びかけで、県、国、JR東日本、学識経験者による「山形県在来線高速化委員会」が設立された。しかしJR東日本は、山形駅 - 新庄駅間(約61キロメートル)の特急利用者が1日往復2千人という赤字路線であったため延伸に慎重な姿勢であった。だが、1997年2月、県の外郭団体である財団法人山形県観光開発公社 (現:公益社団法人山形県観光物産協会)が建設費など351億円をJR東日本に無利子で貸し付け、同社は返済を10年間据え置いた後、10年で償還するという異例のスキームの提示によって開業が決定した。地元が必要と思うものを地元の資金で建設するという画期的な形式での新幹線整備であったが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この方式で建設されているのは2012年時点ではこの区間のみである。[要出典] 同年7月31日には、県から地域振興プロジェクト名目で協調融資を打診された山形銀行、荘内銀行、殖産銀行、山形しあわせ銀行および山形県信用農業協同組合連合会、新庄信用金庫がシンジケート団を組成し、延伸事業資金の6割に相当する208億5千万円を用立て、これに県の補助金を併せ建設費など351億円を捻出している。資金調達は地元銀行4行(当時)の競争と低金利を背景に県が有利に進めた。 1997年5月から延伸工事は着手され、標準軌化工事と共にJR東日本と沿線自治体は山形駅 - 新庄駅間に79か所あった踏切を跨線橋等の設置によって約半分の41ヶ所まで減らしたほか、駅の改築、移設も進めた。加えて各駅にはパーク&ライド用の無料駐車場を全体計画で約3000台分を設置した。 1999年12月4日、2年半の工期を経て山形新幹線は新庄駅まで延伸開業した。これにより、新幹線の停車駅数は山形県内に10か所となり、都道府県別で最多となった。
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