新庄直頼・直定父子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/08 17:27 UTC 版)
新庄父子は西軍に属して上野城を落とした罪により改易処分となり、身柄は蒲生秀行預かりとなるが、4年後の慶長9年(1604年)に赦免され直頼は常陸麻生藩3万石を与えられて立藩、直定は家康の家臣となる。慶長17年12月19日(1613年2月8日)に直頼は75歳で死去、2代藩主として後を継いだ直定は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣には徳川方として参陣し、功を挙げた。元和4年4月21日(1618年6月13日)に直定が56歳で死去した後は嫡男の直好が継承、麻生藩は明治まで存続した。
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