新堂廃寺跡 附オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳とは? わかりやすく解説

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新堂廃寺跡 附オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳

名称: 新堂廃寺跡 附オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳
ふりがな しんどうはいじあと つけたりおがんじいけかわらがまあと・おかめいしこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 大阪府
市区町村 富田林市
管理団体
指定年月日 2002.12.19(平成14.12.19)
指定基準 史3,1,6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 新堂廃寺跡は、昭和11年石田茂作によって紹介された、飛鳥時代前半創建学 史著名な古代寺院跡である。遺跡は、大阪平野南部羽曳野丘陵裾の、大和川支 流石川形成した河岸段丘上に所在する
 遺跡地には古瓦が散布することが大正年間から知られていたが、昭和34年大阪 府住宅建設計画持ち上がり大阪大学大阪府教育委員会発掘調査行った。 その結果創建期の遺構確認できなかったが、白鳳時代再建建物4棟確認し、 南から塔、金堂講堂一直線並び金堂西側基壇建物が建つ伽藍配置である ことが明らかとなった
 その後平成5年度から府営住宅建替えに伴う調査平成9年度からは富田林市 教育委員会史跡指定目指し確認調査行い飛鳥時代中門南面東面西 面回廊検出するとともに、塔基壇下層飛鳥時代基壇土を確認し創建期に四天 王寺式伽藍配置をとることが明らかとなった再建後伽藍については、新たに南 門宝幢遺構東方建物南面東面西面築地検出し、塔・金堂東西建物を 配置する特異な伽藍配置をとることが判明した中心伽藍は、南北150m東西 約80mの範囲推定されるまた、寺域北東では奈良時代から平安時代にかけて の建物群を検出し、これは再建後の寺の経営に関わった集団居住域考えられる
 オガンジ池瓦窯跡は、新堂廃寺跡北西約0.5kmにあるオガンジ池の北東堤部 に所在する昭和44年調査行い天平年間に瓦を焼成した半地下式無段登窯で あることが判明した昭和60年には堤の改修伴って調査行い、南に更に1基の 半地下有段登窯確認した。窯体内から白鳳時代灰原から飛鳥時代の瓦が出土し、 新堂廃寺創建期からの所要瓦を焼成した瓦窯である。
 お亀石古墳はオガンジ池瓦窯跡北の丘陵上に立地する古くから開口しており、大 正2年には学界報告されている。主体部は、南北据えた凝灰岩家形石棺南側 面に開口部設けた横口式石槨という特異な構造で、南方花崗岩用いた5mの 羨道を持つ。天井石羨道部に1個のみ残る。昭和35年発掘調査行い石棺周 囲平瓦敷き詰めていることを確認した。この瓦は新堂廃寺創建用いたものであ り、古墳被葬者が寺と密接な関係を有することが想定された。平成14年には墳丘 等の発掘調査行い従来は径15mの円墳想定されいたものが実は一辺21m の方墳であり、羨道は本来河原石を用いた閉塞石で閉じていたことなどが明らかとな った
 新堂廃寺跡学史的にも著名で、特異な伽藍配置持ち南河内代表する古代寺 院跡である。オガンジ池瓦窯跡は新堂廃寺供給した瓦を焼成した瓦窯である。お亀 石古墳主体部卓越した規模持ち南河内代表する終末期古墳であるとともに、 出土遺物から新堂廃寺創建関わった人物の墓であると想定されるこのように、 寺院瓦窯古墳有機的な関連持って近接して所在する例はきわめて貴重である。 よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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