新国家観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 14:51 UTC 版)
新ナショナリズムの精神に立ってユンガーは、戦闘的精神に支えられ、多様な利害が対立するブルジョアの社会体制にとって代わる、身分的区別のない水平化の原理に根差した総動員体制をとる有機体的国家の体制を力説した。この国家は、決断も意志も権力も欠いたヴァイマル共和国のような「インチキ支配」としての国家ではなく、過去の一切のブルジョア的教養から絶縁した根源的ヴァイタリズムをもつ指導者の下に結集し鍛え上げられた動員体制や集中体制や行進の体制をとる計画体制の「労働者」の国家であった。 この戦後数年間、国家は脅威にさらされた生活にとって余計であるばかりか有害な事態にかかずらってきた。更にそれは、存立してゆく上で決定的な他の事態をゆるがせにしてきた。今日、人々が国家について抱かなければならないイメージは、客船ないしは社交船と同じものではない。それは寧ろ、最高度の単純性と節約が支配し、全ての動作が本能的確実性をもって行われる戦艦と同じものである。 ユンガーはこの戦艦国家体制の象徴をスパルタやドイツ騎士団、ジェスイット教会、ファシズム、ボルシェヴィズム、プロイセン主義のなかに見出だしていた。この「即物的で不屈」のプロイセン主義からすれば「ヒューマニズムを盛り込んだソーシャリズムや平和主義の社会観は、何か麻酔的な側面をもっている。それは、充実した生を愛する者に逆らうものをもっている」 こうしたユンガーの国家観における「ヘロイックなリアリズム」は、ただ黙々として活動する行動の哲学、「即物的な業績、美辞麗句を伴わぬ業績」に徹することしか教えない。「ヘロイックなリアリズム」は、ヒューマニズムのようにバラ色の社会や人生を約束するものではなく、天気が良くなるか悪くなるかは副次的な問題でしかなかった。 フリードリッヒ・ゲオルク・ユンガーなどは、彼の著書の中でより過激な全体的国家像を主張している。 この国家には自由主義国家とは違った任務、本質がある。この国家は強固で絶対的なゲバルトの結集であり凝集である。それ故この国家は、国家以外の団体や同類の多数派による如何なるゲバルトの分割も、また如何なるゲバルトの空洞化をも拒否する。それ故ナショナリズムの運動は自由主義の全ての政治形態を殲滅せんとするものである。
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