新制移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 14:41 UTC 版)
戦争終結にともなって学徒動員が解除、1946年4月には工業経営専門学校が廃止され、大東亜経済研究所が産業経営研究所と改称されるなど、戦時体制からの離脱が急速に進行した。また工経専の設置によって休止となっていた貿易別科も1947年に再開された。そして戦後、官立高商(経専)のなかでは歴史が古く、名門意識も強かった長崎経専は、学制改革のなかで単独での大学昇格をめざしたが実現しなかったため、同じく長崎県下の長崎医大・(旧制)長崎高校・長崎師範・長崎青師の4校とともに新制の国立総合大学に統合されることとなった。そして1949年5月、国立学校設置法に基づき新制長崎大学が発足すると、その経済学部の構成母体となるとともに、同校に包括され長崎大学長崎経済専門学校と改称された。そして1951年3月、最後の卒業式が挙行され長崎経専は廃止となった。 新制移行後の長崎大経済学部は、長崎医大を継承し新制長崎大で学長を輩出した医学部への対抗意識が強く、そのことが本部と独立した位置にある片淵(西山)校地への愛着につながり、キャンパスの移転に対して強い抵抗を示した(後出)ことから、現在に至るまで校地の統合は実現していない。 高商・経専の「海外貿易科」は新制移行後、1968年に設置された経済学部貿易学科の基礎となり、長崎高商「研究館」を継承した産業経営研究所は、1962年設置の長崎大学経済学部東南アジア研究所に継承され、現在に至っている。また戦時期の1944年6月、『商業と経済』から『経営と経済』に改題された長崎経専(工経専)の研究年報は、新制移行後は長崎大学経済学部の紀要誌として継承され、現在は同学部経済学会を発行主体として刊行が継続している。
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