新しい基礎物理学の構築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:26 UTC 版)
「物理学の歴史」の記事における「新しい基礎物理学の構築」の解説
宇宙の基本的な性質については、哲学の側に傾きつつ議論が続いていたが、量子理論はポール・ディラックによる1928年のディラック方程式を始め、研究が続けられていた。しかし、電磁理論の量子化は、理論的な公式から無限大のエネルギーが導かれてしまうために、1930年代を通して停滞していた。この状況は第二次世界大戦が終わり、ジュリアン・シュウィンガー、リチャード・ファインマン、朝永振一郎らが独立に繰り込みを提案し、量子電磁力学が確立されるまで、解決されなかった。 一方、短命の仮想粒子の交換によって制御される相互作用を介した場の量子論の概念の発展で、基本粒子に関する新しい理論が大きく進展した。特に湯川秀樹は、原子核の正電荷は、陽子と電子の中間の質量を持つ粒子によって媒介される強いが作用距離の短い力によって維持されるという説を主張した。この粒子は「中間子」と呼ばれ、1930年から始まる中性子、陽電子、ミュー粒子等の一連の粒子の発見に続いて1947年に確認された。戦後も、霧箱、原子核乳剤、泡箱、同時計数回路等の様々な装置によって、様々な種類の粒子の発見が続いた。最初、これらの粒子は宇宙線が残すイオン化された痕跡から発見されたが、新しくより強力な加速器が次々に作られるようになった。 これらの粒子の散乱や崩壊等の相互作用の観測は、新しい基礎的な量子理論の鍵となった。マレー・ゲルマンとユヴァル・ネーマンは、これらの新しい粒子を特定の量によって分類し、順番を付けた。この研究により、1964年にブルックヘブン国立研究所で発見されたΩ-等の新しい粒子が予測され、またハドロンを構成するクォークが考えられた。当初クォークモデルは強い相互作用と適合しないと考えられ、S行列等の競合する理論も提案されたが、1970年代の量子色力学の確立によって最終的にゲージ理論に基づいた「標準模型」が確立された。この理論は重力を除く全ての力を記述でき、現在も受け入れられている。 「標準模型」では、電弱相互作用理論と量子色力学を統合し、SU(3)×SU(2)×U(1)のゲージ群を構築している。電磁力と弱い相互作用の標準模型への統合の定式化は、シェルドン・グラショウ、スティーヴン・ワインバーグ、アブドゥッサラームによって行われた。標準模型で予測されたZボソンに媒介される中性カレントが欧州原子核研究機構によって発見されると、グラショウ、ワインバーグ、サラムは1979年のノーベル物理学賞を受賞した。 加速器によって様々な衝突エネルギーで標準模型で予測された粒子相互作用が観測され、実証されたのに対し、一般相対性理論を標準模型の枠組に組み入れるような理論は、弦理論が有力な候補として提案されたものの、出てこなかった。1970年代以降、基本粒子の物理学は初期の宇宙論、特にアインシュタインの一般相対性理論の帰結として提案されたビッグバン理論に対して洞察を与えたが、1990年代になると、天体観測によっても銀河の安定性(暗黒物質)や宇宙の加速(暗黒エネルギー)の問題等、解決しなければならない問題が見つかってきた。
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