文化アパートメントについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/11 00:09 UTC 版)
「財団法人文化普及会」の記事における「文化アパートメントについて」の解説
所在地 東京都文京区(現存せず)構造規模 鉄筋コンクリート造 地下1階、地上5階建て延床面積 837坪竣工年 1925年 ・ マンションの源流 森本厚吉は1922年(大11)に文化普及会を設立し、文化アパートメント建設に着手する。 この文化アパートメントは地下1階、地上4階(のちに5階建てに増築)の鉄筋コンクリート造、延べ床面積837坪。 中流階級に欧米風アパートを定着させるべく企画され、現在で言えば超々高級マンションの原点とも言える。 ・ 不燃・永久的な堅牢な家屋にする・ 畳をやめる・ 障子や襖をやめてドアや西洋窓にする・ 玄関や客間よりもふだん使う居間・食堂、寝室に力を入れる・ 椅子とベッドの生活を取り入れる・ 暖房や給湯、洗濯の共同化、応接室や庭園などを共用にして能率化、効率化をはかる この大正期に建てられた日本初の純洋式集合住宅は、江戸川乱歩の作品で、名探偵明智小五郎が探偵事務所を開いていた「開化アパート」のモデルとしても知られる。 明智小五郎は東京都千代田区采女町の開化アパート2階に部屋を借りて、「明智小五郎探偵事務所」を開設、女助手の文代さん(後の妻)と助手の小林少年と暮らしていたとの記述がある。 W・M・ヴォーリズによって設計され、住居内はすべて純洋式。ベッド、椅子、テーブル、電話、ガス調理台、マントルピース、そして共用の施設として社交室、カフェ、食堂、店舗が用意され、エレベーター、焼却炉が備わっており、掃除・洗濯はメイドが行い、アパートよりもホテルの生活に近かった。 この建物は戦後、進駐軍将校の宿舎として使われ、その後旺文社に売却され、日本学生会館として受験生や修学旅行生の都内宿泊施設として利用されたが、1986(昭和61)年に老朽化のため取り壊された。 現在はイギリス人ノーマン・フォスターによる設計のセンチュリータワーとよばれるオフィス・ビル(1991年竣工)がその跡地に建設されている。
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