教化団体の範囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 17:21 UTC 版)
教化団体連合会は1924年に発足したものの、何をもって教化団体と定義すべきか、その範囲は曖昧であった。創立趣意書は教化団体について次のように抽象的な説明をしていた。 現在わが国には、中央地方を通じて約700の教化団体がある。これらの団体は各々其の立場を異にし、沿革を異にするも、国民の教化を目的として、社会改良に従事せる点は全く同一である。すなわち教化団体とは、時代の推移に順応して、民心を指導し、風教を振作せんと志すものである この説明は簡単すぎて不十分であったので、当初は実務上、全国教化団体代表者大会などの参加者を募る際に教化団体代表者としての資格を定めるにあたって次のような基準によって取り扱っていた。 教化団体とは倫理的社会改良運動を直接の目的とするもの(但し宗教の宣布、倫理道徳の研究を主たる目的とする団体、および感化院、免囚保護団体、青年団、処女会等を含まず) このような取り扱いは教化団体連合会内部でも批判があり、教化団体連合会で審議研究を重ねた結果、1925年9月、次のような定義を決定した。 教化団体とは、国民道徳を基調として、思想を善導し、もしくは社会を改善するを直接の目的とする団体を謂う。 これにより、次のような団体は教化団体に含まないことになった。 宗教の宣布を直接の目的とするもの 単に学術研究に限る学会のようなもの 救済や保護感化などの社会事業、および経済的手段による社会政策上の施策を主な目的とするもの 青年団・処女会・少年団・戸主会・主婦会などであって、単に会員各自の修養や会員限定の事業を主とするもの この定義は教化団体連合会内部でのものであったが、1927年末に内務省社会局において全国の教化団体を調査する際の照会文書で公式に採用された。その調査結果は、教化団体に関する事務が文部省に移管された際に、文部省に引き継がれた。 教化団体連合会が中央教化団体連合会に改組した後は、個々の教化団体は中央教化団体連合会に直接加盟せず、府県連合会等に加盟することになった。また、それまでも府県連合会にしか加盟していなかった団体もあった。このため、個々の団体の加盟の可否を判断する府県連合団体の解釈等の違いにより、上記の定義から外れる加盟団体も少なくなかった。そこで中央教化団体連合会は定義の見直しを進め、1929年3月1日、従来の狭義の定義を廃し、教化団体の範囲を拡げる定義を次の通り決定した。 教化団体とは国民の道徳向上を目的として思想を善導し社会を改善するものを謂う 中央教化団体連合会はこの定義をもって1929年『全国教化団体名鑑』を編纂した。
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