排気量2000ccを目指しての展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 00:58 UTC 版)
「フォード・コスワース・BDA」の記事における「排気量2000ccを目指しての展開」の解説
1972年からF2のエンジン規定が「自然吸気の6気筒以下で前年度の生産が最低100台のシリンダブロックを持つ排気量2000㏄以下のエンジン」という規定に変更になった。コスワースは、新規定のF2用エンジンとしてBDAの排気量拡大版(ボア拡大)で対応する方針を固め、排気量を1600㏄から1700㏄、1790㏄、1927㏄と段階的に排気量の拡大を順次図っていく。コスワースの考えでは、ストロークを拡大するとピストンスピードが上がり、回転数を稼ぐことができなく出力が出せなくなることを恐れたためである。 しかしながら元々が1600㏄のケントブロックでは、ボアピッチが小さくボア拡大による排気量拡大が難しい局面であった。ブライアン・ハートは、ケントブロックの限界を早く見抜き、ブロック材質をアルミ合金に変更しシリンダの1番と2番、3番と4番の間隔をつめ"サイアミーズ型”として内側をめっきしたライナーをはめ込んで2,000ccまで排気量拡大が可能としたブロックを設計試作した。このブロックは、オリジナルのケントブロックより軽量化がされていた。このアルミブロックは、試作段階で早くもフォードの目に止まり、早速エスコートRS1800の後期型に採用されたが、コスワースは高く評価しなかった。 コスワースは、当時シボレー・ベガのアルミブロックを使用するEA[要曖昧さ回避]エンジンを平行開発していたが、このベガのアルミブロックに鋳造欠陥が多く、アルミブロックに対して不信感を持っていたのでハートのアルミブロックに対しては、否定的な見解を持っていた。ハートのブロックは、F2用としては1850㏄から2000㏄へと順次排気量アップ(ボア拡大)を図り、F2用エンジンとしての公認と実績をとっていく形で進化を図る。 一方コスワースは、ケントブロックのボアアップに際しては、シリンダライナをブロックにロウ付けする方法で排気量拡大を図るが、うまくいかずに最終的には、ハートのアルミブロックを採用することになる。 特に、1973年にBMWがフルスケールの2000㏄のブロックを使用したBMW・M12/6をF2へ参戦させると、BDAはF2での成績を落としていく。このBDAのアルミブロックは、シリンダ間の隙間が狭いためシリンダ間にウオータ・ジャケットを設けることができなかったのと、ピストンリングが直接シリンダブロックを摺動するのでシリンダの摩耗が激しく、寿命が短いという欠点があった。またコッグドベルト自体の信頼性が当時の技術では低く、エンジンを慎重にウォーミングアップしないとベルトが切れ、吸排気バルブがすべて変形するというトラブルも多発した。 F2からの需要が減った後は、エスコート用のグループ5(シルエットフォーミュラ)用エンジンとして活用された。
※この「排気量2000ccを目指しての展開」の解説は、「フォード・コスワース・BDA」の解説の一部です。
「排気量2000ccを目指しての展開」を含む「フォード・コスワース・BDA」の記事については、「フォード・コスワース・BDA」の概要を参照ください。
- 排気量2000ccを目指しての展開のページへのリンク