排水と乾田化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 06:27 UTC 版)
1948年、戦前から進められていた農地整備事業の一環として、鳥屋野潟東端部から栗ノ木川を通じて機械による強制排水を行う「栗ノ木排水機場」が稼働を開始した。合わせて域内には土地改良区が組織され、農地を統一規格に整備することとなり、用排水路など疏水の整備も進められた。こうした策によって亀田郷の排水は急速に進捗し、1955年頃には水田の区画化がほぼ完了。牛や馬、機械による農作業が可能となって舟農業からの脱却を果たし、亀田郷では1957年に乾田化が宣言された。米をはじめとする農産物の生産性が大幅に改善された上に、品質も大きく向上した。これと併せて鳥屋野潟周辺に多数存在した小規模湖沼の干拓と埋立ても進められ、都市開発が急速に進捗した。
※この「排水と乾田化」の解説は、「亀田郷」の解説の一部です。
「排水と乾田化」を含む「亀田郷」の記事については、「亀田郷」の概要を参照ください。
- 排水と乾田化のページへのリンク