振り子時計から水晶時計へ
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「日本標準時」の記事における「振り子時計から水晶時計へ」の解説
1951年(昭和26年)1月1日昭和26年文部省・電波監理委員会告示第1号 改定により、標準電波の秒報時形式を搬送波切断方式(1 kHzで変調中に、秒信号は0.02 s、分信号は0.2 sの切断)に変更された。また、報時信号は東京天文台から伝送される信号に代え、小金井の水晶時計からの信号に変更された。 6月7日計量法(施行日:1952年(昭和27年)3月1日)が制定され、時間の計量単位としての秒は、平均太陽日の1/86400とし、東京天文台が秒として決定する時間で現示するとされた。したがって、時刻の刻みとしての秒と時間の計量単位としての秒は同じ天象観測による時の計測で決定された。 これにより、標準時の通報に使用する時計は、東京天文台が測定及び報時する時刻と、秒として決定及び現示する時間に基づいて較正されることになる。 1952年(昭和27年)8月1日郵政省設置法の改正(7月31日)により、電波監理委員会が郵政省へ統合されて、郵政省電波研究所 (RRL) が発足した。郵政省は周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を通報する権限を有し、電波研究所はそれを行うための機関とされた。担当部署の所属は第二部標準課となる。 当年内東京天文台の標準時計がリーフラー振り子時計に代わって水晶時計が新設される。リーフラー時計は、歩度の精度が1日 0.001 秒という驚異的な精度であったが、振り子時計は地震などの影響を受けるので、更に精度の高い水晶時計に移るといわれている。なお、水晶時計の安定度は短期的には地球の自転よりも優れているが、振動数の温度変化やジャンプがあるので、時計比較の基底をなすのは長期安定性に優れた地球の自転であることには変わりはない。 1953年(昭和28年)東京天文台で水晶時計が本格的に稼働を始める。従来のテープクロノグラフに代わる各種高精度時計比較装置が研究され、実用化される。 1954年(昭和29年)1月東京天文台で写真天頂筒 (PZT) による時刻と緯度の観測が始まる。 1955年(昭和30年)時の制度の改訂や報時業務が郵政省に移管されたことから、昭和30年法律第44号により国立学校設置法が改正され、従来の東京天文台の目的のうち「時の測定、報時及び時計の検定に関する事務」が「中央標準時の決定及び現示並びに時計の検定に関する事務」に改められた。
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