所有派と非所有派の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)
「ロシア正教会の歴史」の記事における「所有派と非所有派の対立」の解説
荒野修道院運動から出発した修道院群も、時を経て開墾地により豊かになっていたものが多かった。こうした富を積極的に用いて人々を助けるべきだとした人々が所有派である。他方、隠遁者を多数生み出し、清貧を旨とし財産所有に反対した人々が非所有派である。 15世紀中頃から両派の間で論争が活発になったのだが、そもそもこうした富を巡った論争が起きること自体が、修道院群の「荒野修道院」からの一定の変質を物語るものである。勤勉な修道士達による過去の開墾の成果が豊かな実りをこの時代にもたらしたのも事実であるが、反面、世俗権力と癒着する聖職者層が形成されてきていたのも確かであった。 所有派のリーダー…ヴォロコラムスクの修道院長:聖イオシフ・ヴォロツキイ(1439-1515) 非所有派のリーダー…聖ニル・ソルスキー(1433-1508)、聖マクシム・グレク(1470-1556) ※ここでは両方のリーダーが列聖されていることを特に示すために、正教会で用いられている「聖」の称号を付す。 上記のそれぞれの派のリーダーに「聖」という称号が付されていることから判る通り、後代の正教会からはいずれも列聖されており、両派のいずれかが二者択一の結果として現代において正統性を獲得するといったようなことは起きていない。所有派は当時、権力基盤が整備され統一が進んでいたロシアにおいて豊かな財力を活かし、荘厳な奉神礼を整え、西欧の進んだ技術を導入する担い手となり学校教育・社会福祉に力を入れていたと評価され、一方非所有派は、祈りと修道を通した精神的向上により、人々の精神生活をより豊かにしようと働いていたと評価される。両派ともに当時も尊敬される修道士・聖人を生み出していた。 しかしながら当時のロシア正教会は、組織としては両派のバランスを志向せず、基本的に所有派を優先するようになっていった。こうした所有派の姿勢への偏りが後々、16世紀及び17世紀のロシア正教会のさまざまな問題に影を落とすことになる。 なお、両派の対立の時代の中にあっても、精神的遺産が正教会に遺された。イオシフ・ヴォロツキイは当時隆盛していた異端に対する論駁を著した。ニル・ソルスキーはアトス山など数々の聖地を訪れ、ヘシュカスムの神秘的奥義を体得、聖師父の著作を読んでロシアに帰郷し、帰郷後は隠遁所をつくって修道生活を送った。膨大な著作も遺している。
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