戦闘機パイロットの養成と補充
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/23 04:06 UTC 版)
「戦闘機軍団」の記事における「戦闘機パイロットの養成と補充」の解説
レン・デイトンは著書で次のように記述している。 バトル・オブ・ブリテンの趨勢を決したのはイギリス空軍のパイロット養成システムだったと論ずるといかにも大げさだが、あながち偽りでもないのである。この戦闘を戦った戦闘機パイロットたちも他の飛行機乗りたちとはまるでちがった、全く新種のパイロットたちだった。 — レン・デイトン『戦闘機 - 英独航空決戦』 また、同書の中である予備空軍パイロットの言として次のように述べている。 予備パイロットは士官たろうと努めている紳士だ。本チャン(正規空軍士官のこと)とは紳士たろうと一生懸命になって努めている士官たちのことだ。そして特志の義勇パイロットとは、紳士たろうともしないし、士官らしくしようともしない者のことをいう。 — レン・デイトン、前掲書 当時の戦闘機パイロットには3種類の出身母体があった訳である。まずは正規の空軍士官、それから予備パイロットとは、1926年来、存在する地方自治体が費用負担する予備空軍(州兵のようなもの)出身者を指し、第11戦闘機群のなかで地名を冠する中隊がそれに該当する。三つ目の義勇パイロットとは、1936年に定められた志願制度で軍籍にいない18歳から25歳までの成年男子に民間飛行学校の施設・器材を利用して航空機操縦技術を授けるもので、費用は空軍が負担した。イギリス空軍一のエースパイロットであるジェームス・エドガー・ジョンソン (James E. Johnson) 大佐は、義勇パイロットの一人であったことを著書に次のように記している。 志願予備飛行隊は、(金持ち連中の目立ちたがりで)社交上手な予備空軍に比べれば、エリート集団というには程遠い部隊ではあったが、私は大きな期待をこめて、航空省に志願書を提出した。これはまもなく受理されたが、志願者の数が訓練学校の空席をはるかに上回っているとのことだった。イギリス空軍のパートタイム飛行組織のどちらかに加わろうという望みは、ここでひとまずあきらめなくてはならなかった。 — ジェームス・エドガー・ジョンソン『編隊飛行』 この他、外国人助っ人部隊として、第11戦闘機群には「カナダ第1中隊」がいた。これはカナダの正規空軍の第一中隊そのものであり、「ポーランド第303中隊」とは亡命ポーランド人航空兵から編成された戦闘機中隊である。イギリス空軍戦闘機軍団は消耗品であるパイロットをこのようにあらゆる方法をもって養成し、補充した。
※この「戦闘機パイロットの養成と補充」の解説は、「戦闘機軍団」の解説の一部です。
「戦闘機パイロットの養成と補充」を含む「戦闘機軍団」の記事については、「戦闘機軍団」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から戦闘機パイロットの養成と補充を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 戦闘機パイロットの養成と補充のページへのリンク