戦術と威力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/17 04:49 UTC 版)
ホ203を装備した二式複戦はその攻撃力から、特に日本本土防空戦において対B-29戦で戦果を挙げ、飛行第5戦隊の樫出勇大尉を筆頭に多くのB-29キラーたるエース・パイロットを輩出した。 ただしホ203は空対空戦闘において扱いやすい火砲ではなかった。対B-29の場合、キ45は敵の前方に占位、対面で突入しつつ前下方もしくは前上方から射撃した。この際、時間的猶予から発砲可能な弾数は1発から2発であり、よく照準して撃ち込めるのは一撃に限られた。操縦席付近を照準するものの、エンジンに命中するなど精度は良好ではなかった。 キ45の限られた機体性能と速度、およびホ203の低初速から直上攻撃は行われなかった。直上攻撃の場合、B-29の何倍か前へ修正量を見越して撃つ必要があった。速度と機動性に欠けるキ45がB-29を攻撃する際に、修正量を見越して相手との角度が浅くなった場合、反撃を受けて撃墜された。そこで速度が重視され、後下方攻撃の際にもまず高度差を利用して加速し、上方から射撃後に一気に下へ突き抜けて離脱、速度を利用して再び下から射撃した。 威力の例としては昭和18年11月、ラングーンを空襲したB-24をキ45が追撃、高度6,000mで会敵した。前方に回ったキ45は二番機を狙い、対向から距離300mで2発を射撃、B-24の左主翼付け根に1発を命中させた。37mm弾を受けたB-24は直後に黒煙を吹き、水平にスピンしてから空中分解した。また昭和19年1月19日、インドネシア東部のアンボン基地付近の空戦では、キ45を装備した部隊がB-24の編隊20数機と交戦し、うち1機がB-24を3機撃墜、1機撃破した。このとき、ホ203の一撃がB-24のエンジンを吹き飛ばして墜落に追い込んでいる。 1944年(昭和19年)6月16日、北九州の八幡製鉄所を目標とするB-29編隊62機が来襲、キ45を装備する四戦隊が夜間迎撃を行った。上記の樫出勇中尉(当時)は高度2,000mで会敵、前方から突入し距離80mからホ203を射撃した。左翼付け根に37mm砲弾が命中したB-29は墜落した。また他のキ45は後上方から加速してB-29の下へ潜り、機首を上げてホ203を発砲、左翼付け根の燃料タンクに直撃を受けたB-29は大きな爆発を起こして分解した。この戦闘でキ45は延べ24機が出撃、B-29は7機を喪失し、最も有効だった兵器はホ203だった。 他の撃墜例としては、B-29の操縦席に1発命中して機首が鯉のぼりのような状態となり、墜落した例や、B-29の左主翼付け根に1発命中、直後に爆発を起こして空中分解したなどの戦闘例が多い。
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