戊辰戦争の開始とは? わかりやすく解説

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戊辰戦争の開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:57 UTC 版)

河井継之助」の記事における「戊辰戦争の開始」の解説

慶応3年1867年10月徳川慶喜大政奉還を行うと、中央政局動き一気加速する。この慶喜動き対し討幕派は12月9日1868年1月3日)に王政復古の大号令発し幕府などを廃止する一方長岡藩では藩主・忠恭は隠居して牧野忠訓藩主となっていたが、大政奉還報せを受けると忠訓や継之助らは公武周旋のために上洛する。 そして継之助は藩主名代として議定所出頭し徳川氏擁護する内容建言書を提出する。しかし、それに対す反応は何もなかった。翌慶応4年1月3日1月27日)、鳥羽伏見において会津藩桑名藩中心とする旧幕府軍と新政府軍との間で戦闘開始され戊辰戦争が始まる(鳥羽・伏見の戦い)。大坂警衛していた継之助らは、旧幕府軍の敗退慶喜江戸へ密かに退いたのを知ると急ぎ江戸へ戻る。 藩主らを先に長岡帰させると、継之助は江戸藩邸処分して家宝などを全て売却。その金で、相場暴落した米を買って蝦夷地開港されていた箱館運んで売り、また新潟との為替差益にも目をつけ軍資金増やした同時にイギリス人武器商人ウォーターアメリカ人武器商人スミス、ファブルブラント商会C.&J.FAVRE BRANDT)、スネル兄弟などからアームストロング砲ガトリング砲エンフィールド銃スナイドル銃シャープス銃軍用カービン)などの最新兵器購入し海路長岡帰還した。特にガトリング砲当時日本には3門しか存在せずそのうち2門を長岡藩所持していた。

※この「戊辰戦争の開始」の解説は、「河井継之助」の解説の一部です。
「戊辰戦争の開始」を含む「河井継之助」の記事については、「河井継之助」の概要を参照ください。

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