戊辰戦争と錦の御旗とは? わかりやすく解説

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戊辰戦争と錦の御旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/21 13:36 UTC 版)

錦の御旗」の記事における「戊辰戦争と錦の御旗」の解説

1868年慶応4年正月鳥羽・伏見の戦いにおいて、薩摩藩本営であった東寺錦旗掲げられた。この錦旗は、慶応3年10月6日薩摩藩大久保利通長州藩品川弥二郎が、愛宕郡岩倉村にある中御門経之別邸岩倉具視委嘱された物であった岩倉腹心玉松操デザイン元に大久保京都市中で妾のおゆうを通じて西陣で織らせて大和錦紅白緞子調達し半分京都薩摩藩邸で製造したもう半分品川材料長州持ち帰って錦旗仕立てあげた。 その後鳥羽・伏見の戦いが始まると、朝廷征討大将軍仁和寺宮嘉彰親王錦旗節刀与えた新政府官軍)の証である錦旗存在士気大い鼓舞すると共に賊軍立場とされてしまった旧幕府側に非常に大きな打撃与えた当時土佐藩士として戦い参加し、のちに宮内大臣内閣書記官長などを歴任した田中光顕は、錦の御旗知らしめただけで前線旧幕府兵達が「このままでは朝敵になってしまう」と青ざめて退却する場面目撃している。 戊辰戦争使用され錦旗及び軍旗類は、明治維新後は陸軍省遊就館靖國神社)や宮内省図書寮保存された。1888年明治21年日本政府依頼で、長州藩出身絵師浮田可成(うきたかせい)により、1734絵図にされ、『戊辰所用錦旗軍旗真図』(ぼしんしょようきんきおよびぐんきしんず)4巻にまとめられた。

※この「戊辰戦争と錦の御旗」の解説は、「錦の御旗」の解説の一部です。
「戊辰戦争と錦の御旗」を含む「錦の御旗」の記事については、「錦の御旗」の概要を参照ください。

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