戊辰戦争と錦の御旗
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1868年(慶応4年)正月、鳥羽・伏見の戦いにおいて、薩摩藩の本営であった東寺に錦旗が掲げられた。この錦旗は、慶応3年10月6日に薩摩藩の大久保利通と長州藩の品川弥二郎が、愛宕郡岩倉村にある中御門経之の別邸で岩倉具視に委嘱された物であった。岩倉の腹心玉松操のデザインを元に、大久保が京都市中で妾のおゆうを通じて西陣で織らせて大和錦と紅白の緞子を調達し、半分を京都薩摩藩邸で製造した。もう半分は品川が材料を長州に持ち帰って錦旗に仕立てあげた。 その後、鳥羽・伏見の戦いが始まると、朝廷は征討大将軍・仁和寺宮嘉彰親王に錦旗と節刀を与えた。 新政府(官軍)の証である錦旗の存在は士気を大いに鼓舞すると共に、賊軍の立場とされてしまった旧幕府側に非常に大きな打撃を与えた。当時土佐藩士として戦いに参加し、のちに宮内大臣や内閣書記官長などを歴任した田中光顕は、錦の御旗を知らしめただけで前線の旧幕府兵達が「このままでは朝敵になってしまう」と青ざめて退却する場面を目撃している。 戊辰戦争に使用された錦旗及び軍旗類は、明治維新後は陸軍省の遊就館(靖國神社)や宮内省図書寮に保存された。1888年(明治21年)日本政府の依頼で、長州藩出身の絵師、浮田可成(うきたかせい)により、17種34枚の絵図にされ、『戊辰所用錦旗及軍旗真図』(ぼしんしょようきんきおよびぐんきしんず)4巻にまとめられた。
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