戊辰戦争と廃藩置県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:58 UTC 版)
1869年1月19日(明治元年12月7日)には陸奥国が分割され、信夫、伊達、安達、安積、岩瀬の5郡に、会津、大沼、河沼、耶麻の4郡を合わせた9郡で岩代国が分立し、戊辰戦争後に岩代国の領域に存続した藩は、福島藩と二本松藩のみであった。 1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県時には、岩代国で藩主が藩知事から横滑りのまま県となったのは二本松県だけで、他の区域は福島県と若松県(会津地方)の2県に再編されて、明治新政府が任命した(権)知事が治めた。また、磐城国に含められた棚倉県と三春県は存続したものの、白河県(西白河郡)は明治新政府直轄県となった。こうして、中通りには福島県と二本松県と白河県の3県が鼎立した。次いで1871年12月13日(明治4年11月2日)の第一次府県統合で福島県と二本松県と白河県が合併され、同11月14日(1871年12月25日)に二本松県は福島県に改称され、県庁も福島に移転した。
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