戊辰戦争での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 07:55 UTC 版)
慶応3年(1867年)、王政復古の大号令により朝敵であった長州藩が宥免され、倒幕のために長州藩兵が上京したのに伴い、河田らも鳥取に帰藩。翌慶応4年(1868年)の戊辰戦争勃発後は、東山道先鋒軍(総督は岩倉具定、参謀は板垣退助)に加わり、鳥取藩兵参謀となり、そして志願農兵山国隊の隊長も兼ねた。 3月の江戸開城後は北関東に転戦し、4月下旬に宇都宮城の戦いで活躍。自ら抜刀して敵陣へ向かい、大声で配下の将兵を鼓舞したという。閏4月には政府軍下参謀に就任、会津戦争に従軍する。これらの活躍が認められ、賞典禄450石(鳥取藩士としては最高額)を与えられた。
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