戊辰戦争から明治へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:56 UTC 版)
慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦い後、正倫は京都に上って新政府に徳川氏の存続と徳川慶喜追討令の取り消しを求めるが、軟禁される。藩主不在の佐倉では家老平野縫殿が新政府からの大多喜藩(藩主は大河内正質)への出兵命令に応じるなど、新政府に従った。 明治4年(1871年)7月、廃藩置県によって佐倉藩は廃止され、佐倉県が設置された。
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