戊辰役東軍西軍激戦之地碑
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「鳥羽・伏見の戦い」の記事における「戊辰役東軍西軍激戦之地碑」の解説
府道124号線脇。京都競馬場から京阪本線を隔てた、住宅地の一角。かつては淀の千両松と呼ばれる堤に沿った松並木であり、工事で現場にあった幕軍戦死者の埋骨碑を工事で撤去しようとしたところ、事故が相次ぎ戦死者の祟りとの噂まで出た。そのため撤去を中止し、横に慰霊碑を建てることにした。慰霊碑の碑面には以下の文面が記されている。「幕末の戦闘ほど世に悲しい出来事はない それが日本人同族の争でもあり 幕軍・官軍のいずれもが正しいと信じたるままそれぞれの道へと己等の誠を尽した 然るに流れ行く一瞬の時差により或るは官軍となり又或るは幕軍となって士道に殉じたので有ります ここに百年の歳月を閉じ 其の縁り有る此の地に不幸賊名に斃れたる誇り有る人々に対し今慰霊碑の建つるを見る 在天の魂依って瞑すべし 昭和四十五年春」
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