惨敗続きのワシントン国際 - 凱旋門賞挑戦のはじまりとは? わかりやすく解説

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惨敗続きのワシントン国際 - 凱旋門賞挑戦のはじまり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:02 UTC 版)

日本調教馬の日本国外への遠征」の記事における「惨敗続きのワシントン国際 - 凱旋門賞挑戦のはじまり」の解説

ハクリョウ招待を受けながら断念して以降ワシントン国際へはメイヂヒカリクリペロ都度遠征取り沙汰されながら出走実現しなかった。1962年、初招待から8年経て天皇賞優勝タカマガハラ初出走を果たしたが、1着から約32馬身の差をつけられての10着と敗れる。この結果受けて日本中央競馬会は「要する勝利を期して遠征計画は何もなされていなかったといってよい。まずは今後先鞭務めたことでその意義は十分」との見解示したが、以後ワシントン国際において、日本からはおおむね国内第一級の馬が出走しながら、大敗繰り返した。全出走馬大まかな成績次の通りである。 年度馬名着順/頭数1着との着差1962年 タカマガハラ 10着/13頭 32馬身 1964年 リュウフォーレル 8着/8頭 30馬身1/2 1967年 スピードシンボリ 5着/9頭 8馬身1/4 1968年 タケシバオー 8着/8頭 24馬身1/2 1969年 タケシバオー 7着/7頭 35馬身 1972年 メジロムサシ 7着/完走7頭 43馬身 1975年 ツキサムホマレ 9着/9頭 30馬身3/4 1976年 フジノパーシア 6着/8頭 23馬身 1980年 ハシクランツ 8着/8頭 44馬身 上記のうち、遠征史のうえで特筆される存在スピードシンボリである。ワシントン国際において日本馬として最良成績挙げた同馬は、「国際性の高い競馬をしたい」という馬主和田共弘意向により、1969年イギリスフランスそれぞれの最高級競走であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス凱旋門賞に、日本馬としてはじめ出走した結果それぞれ5着(9頭立て)、11着以下(24頭立て)というものであったが、スピードシンボリは「世界檜舞台で、日本産馬の真価を問わんとし」「国際競走対す日本競馬社会認識をいっそう深める役割果たした」と評価されている。特に凱旋門賞へは時代が下るにつれて日本馬挑戦増えていき、いつしか強い憧れ醸成され日本競馬が「憑かれたように」勝利を目指す競走となっていく。 なお、日本中央競馬会広報誌優駿1970年1月号では、「国際レースに勝つには」という議題のもとで歴代遠征馬の馬主中心とした座談会が行われたが、そこで議論され日本欧米の差は、馬の血統、馬の管理飼料調教施設遠征方法論といったほぼ全方面にわたり、和田共弘は「あらゆる面で負けてる」と指摘した

※この「惨敗続きのワシントン国際 - 凱旋門賞挑戦のはじまり」の解説は、「日本調教馬の日本国外への遠征」の解説の一部です。
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