フジノパーシアとは? わかりやすく解説

フジノパーシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 07:28 UTC 版)

フジノパーシア日本競走馬。主戦騎手は大崎昭一。おもな勝ち鞍は1975年(昭和50年)の天皇賞(秋)及び1976年(昭和51年)の宝塚記念高松宮杯半弟に兄と同じ天皇賞(秋)を制したスリージャイアンツがいる。同期にキタノカチドキコーネルランサータカエノカオリトウコウエルザサクライワイイットーアイフルがいる1974年(昭和49年)世代。長距離系種牡馬パーシアの代表産駒。同期のサクライワイに勝るとも劣らぬ道悪巧者でもあった。


  1. ^ 当時の天皇賞(秋)は「1番人気が勝てない」レースとして有名であった。直近の1番人気での優勝馬は1965年(昭和40年)のシンザンであり、1971年(昭和46年)以降の1番人気馬は複勝(3着以内)にすら絡まなくなっていた。結局、1976年以降も3200m時代には1番人気馬が勝利することはなかった。
  2. ^ 【競馬】1975年天皇賞(秋)フジノパーシア
  3. ^ ホワイトフォンテンとは相性が非常に悪かった。実際、ホワイトフォンテンが制した日本経済賞にはフジノパーシアも出走していた。また翌年(1976年)のAJCCでも、やはりホワイトフォンテンに逃げ切られている。
  4. ^ 1976年は京都競馬場で開催された。1976年第17回宝塚記念 フジノパーシア


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