第14回宝塚記念とは? わかりやすく解説

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第14回宝塚記念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 10:04 UTC 版)

宝塚記念 > 第14回宝塚記念

1973年6月3日阪神競馬場で行われた第14回宝塚記念について詳細する。

  • なお、馬齢については当時の表記方法(数え年)とする。

レース施行時の状況

阪神競馬場の当日は晴れて良馬場で進められていた。春の天皇賞を制したタイテエムが単勝支持率66.6%の圧倒的1番人気に支持され、その後はエイトクラウンとの母仔制覇が懸かるナオキ、天皇賞でタイテエムの3着に入ったシンザン産駒・シンザンミサキハマノパレードと続いた。

出走馬と枠順

枠番 馬番 競走馬名 騎手 オッズ 調教師
1 1 ハマノパレード 牡5 田島良保 4人(14.3) 坂口正二
2 2 ミリオンパラ 牡6 戌亥信昭 7人(105.2) 戌亥信義
3 3 カツタイコウ 牡6 加賀武見 5人(21.9) 柄崎義信
4 4 タイテエム 牡5 須貝彦三 1人(1.5) 橋田俊三
5 5 アイチアサホマレ 牡6 西谷達男 7人(117.4) 上田武司
6 6 ナオキ 牡6 佐々木昭次 2人(10.3) 田中康三
7 7 シンザンミサキ 牡7 久保敏文 3人(12.6) 久保道雄
8 8 エリモカップ 牡7 大久保光康 6人(39.3) 大久保正陽

レース展開

スタートは出遅れ癖のあるミリオンパラが今回も出遅れたものの、その他の7頭は通常のスタートだった。最内1枠1番と言う好枠を生かし、好スタートからハマノパレードが先手を取り、その後にタイテエム・ナオキ・シンザンミサキと有力馬が続いた。

ハマノパレードのマイペースの逃げは最終コーナーを回っても鈍る事無く、最後の直線で一瞬タイテエムに馬体を併せられそうになるものの、二の脚を使いクビ差で逃げ切った。2分12秒7のレコード勝ちであった。

この競走の映像(関西テレビ放送の中継の映像を収録したもの)は、1995年10月20日にポニーキャニオンより発売された「中央競馬GIシリーズ 宝塚記念史」に収録されている。

レース結果

着順 枠番 馬番 競走馬名 着差
1 1 1 ハマノパレード 2分12秒7
2 4 4 タイテエム  アタマ 
3 6 6 ナオキ 1/2
4 5 5 アイチアサホマレ 8馬身
5 8 8 エリモカップ アタマ
6 3 3 カツタイコウ 1/2
7 7 7 シンザンミサキ 2.1/2
8 2 2 ミリオンパラ 1.3/4
単勝式 1 1060円
複勝式 1 160円
4 100円
6 120円
連勝複式 3-7 280円

レースのその後

宝塚記念を制したハマノパレードは第3回高松宮杯に出走。しかし、ゴールの残り150m地点で転倒し、左前脚を骨折。普通なら予後不良の診断が下さるが、ハマノパレードは翌朝、殺された。





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