復籍後の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 18:08 UTC 版)
「名古屋電気鉄道トク1号電車」の記事における「復籍後の運用」の解説
除籍され風化が進むデシ551(1941年) モ41として復籍した元・デシ551(1945年頃) その後、太平洋戦争激化に伴う戦時体制への移行により、輸送需要の急増と物資の欠乏という事態に直面した名鉄は、一旦除籍処分としたデシ551を再整備し、支線区の運用車両として導入することとした。 再整備に際しては、従前のオープンデッキ構造を廃して乗降口に片開客用扉を新設し、連結器を並形自動連結器へ交換、集電装置のパンタグラフ化、空気ブレーキの新設、前照灯の屋根上中央部への移設など各種改造が施工されて1942年(昭和17年)11月に復籍、形式および記号番号はモ40形(初代)41となった。またこの際、傷んだ外板の張替えに伴って側窓上部の明り取り窓は全て埋込撤去され、窓枠部の装飾も省略された。一方、車内各部の装飾彫りには手を加えられず、また広幅窓構造ゆえに鎧戸が取り付け不可能であったため横引きカーテンもそのまま存置され、過去にモ41が貴賓車であったことを示す名残となった。 モ41は西尾線(安城支線)に配属され、当初は電気機関車代用として貨物列車牽引に用いられた。1945年(昭和20年)の豊川市内線(後の豊川線)の開通に際して一旦転属したが後年再び安城支線に転属、同路線の旅客運輸開始後は旅客用車両としても重用された。 1949年(昭和24年)に実施された名鉄の保有車両を対象とする形式称号改定に際して、モ41はモ85形85と形式および記号番号を改めた。その後、モ85は名鉄の鉄道路線に在籍する最後の旅客用4輪単車として、1960年(昭和35年)3月に実施された西尾線・安城支線の架線電圧1,500 V昇圧まで運用された。運用離脱後、モ85は同年3月28日付で除籍され、またモ85の廃車をもって名鉄の鉄道路線に在籍する旅客用車両は全て2軸ボギー車で統一された。
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