後村上天皇宸翰書状
主名称: | 後村上天皇宸翰書状 |
指定番号: | 103 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1巻、1幅 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 後村上天皇宸翰書状を一巻、一幅に装したもので、首尾完存する三通と断簡七通からなり、年紀はないが、文意よりみておおよそ正平十六年(一三六一)、十七年頃、後村上天皇が侍臣に賜つたものと考えられる。うち巻子装の第一、二通には具足など武具に関する事項がみえ、第三通はある人の任官のことを賀せられ、併せて足利方の諸将の動向につき報ぜられており、第四通は禅閤の病悩に対する見舞の事、天皇の楽道に関する記事が見えている。第五通から第九通に至る五通はすべて断簡の書状で、第七通は四国合戦における細川清氏の敗死について述べられ、第九通からは、正平十六年七、八月の畿内における南北両軍の動静などが窺える。また、「四海太平之春」にはじまる掛幅装の一通は、後村上天皇が侍臣に対し年頭の賀詞を述べられたものである。 一三枚の料紙いずれの紙背にも界高二三・九センチ、界幅二・三センチの経巻の金界線の痕跡をとどめており、巻子装第一紙には、法華経第一、方便品第二の中なる偈の文字がわずかに認められる。この経文の書写がいつ誰の手になるものであるかは不明であるが、正平二十三年(一三六八)三月十一日、摂津住吉の行宮において崩御された後村上天皇のために、その自筆書状を継ぎ合わせ、紙背を飜して供養経の料紙に用いたもので、亡き天皇の供養にさいし、天皇近侍の結縁者によって書写されたと考えられる。 本書状は、後村上天皇の晩年の自筆書状のまとまった遺品として貴重であり、当時の政治情勢の一端を伝えて注目される。 |
古文書: | 後愚昧記 後愚昧記 後朱雀天皇宸翰御消息 後村上天皇宸翰書状 後柏原天皇宸翰御消息 後法成寺関白記 後法興院記 |
- 後村上天皇宸翰書状のページへのリンク