建設に至るまでの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 05:39 UTC 版)
「ニューヨーク市地下鉄7系統延伸事業」の記事における「建設に至るまでの経緯」の解説
市内深西部の再開発を推進するため都市交通システムを延伸する案は1969年には持ち上がっており、ニューヨーク市都市計画局(英語版) (CPC) のマスタープランでは、ミッドタウンを48丁目の通りに沿って西側に拡張し、8番街から12番街にかけて立ち並ぶ「ありとあらゆる種類の時代遅れで老朽化した建物からなるブロック」を建て替えるとしていた。しかし、市西部の40丁目から50丁目界隈の再開発プランは東西方向の路線新設のための州債発行が否決されて頓挫してしまい、結果として世間の注目は30丁目界隈とIRTフラッシング線に向けられることになった。 CPC の1993年の提言を受けてマンハッタン・セントラル・ビジネス・ディストリクトへのアクセスを改善するため、MTA は7系統をニュージャージー州まで延伸する可能性について検討を始めた。2001年にはチャールズ・シューマー上院議員は企業や市民団体を集めて「ミッドタウンのオフィス街を西側に拡張するには地下鉄の延伸が必要である」と主張した。 市西端部までは徒歩だと20分もかかる。しかも、グランド・セントラル駅やマンハッタンの東側から西端部まで通じる便利な路線がなく、マンハッタン区やクイーンズ区、ウエストチェスター郡、コネチカット州からの通勤は困難である。 フラッシング線の延伸は2012年夏季オリンピックの招致の一環で提案されたものである。ニューヨーク市は2005年7月のIOC総会の前には建設資金を確保しておくことを望んでいたが、MTA の投資計画では既に2番街線やイースト・サイド・アクセスへの投資が決まっていたため、フラッシング線延伸の資金を捻出することができなかった。オリンピックスタジアムとなるウェストサイド・スタジアムはウェストサイド操車場(英語版)のすぐ近くに建設される予定であったが、2005年に州議会が建設を否決したため取りやめになった。このため、ニューヨークはオリンピック開催地の選から漏れてしまった。しかし、ニューヨーク市政府はNo. 7 Subway Extension - Hudson Yards Rezoning and Development Programというレポートの中でハドソン・ヤード地区の区画整理や地下鉄の新駅設置を提言しており、ハドソン・ヤード近隣の28丁目から43丁目までの約60ブロックの区画整理と、それに続く地下鉄の延伸計画が承認された。 2006年12月12日にマイケル・ブルームバーグ市長はリベラル系圧力団体の自然保護のための有権者行動連盟(英語版)に対して2006年11月から7系統を11番街34丁目に延伸する費用を賄うための市債の発行を始めたと述べた。24億ドルの延伸資金は、延伸区間の開発により期待される固定資産税の税収を整備費にあてる増加税収財源措置(英語版)債(TIF債)を販売することで調達された。
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