建築・学問・文学での業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:20 UTC 版)
「ユスティニアヌス1世」の記事における「建築・学問・文学での業績」の解説
ユスティニアヌス1世は数多くの建築を行っており、歴史家プロコピオスはこの分野の業績の証人である。ユスティニアヌスの後援のもとで有名なユスティニアヌスとテオドラのモザイクを持つラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂が完成している。彼による最も有名な建築はハギア・ソフィア大聖堂で、これはニカの乱で焼失したバシリカ様式の教会を全く異なる設計で壮麗に再建したものである。モザイクで満たされた壮大なドームを持つこの新たな大聖堂は数世紀にわたり東方キリスト教徒の中心であり続けた。その他に首都では聖使徒教会(5世紀末の時点ではみすぼらしい状態だった)が同様に再建された。 装飾事業は教会に限られず、コンスタンティノープル大宮殿の遺跡からはユスティニアヌス時代の高品質のモザイクが見つかっており、543年には軍装して騎乗するユスティニアヌスの銅像を頂いた円柱がコンスタンティノポリスで製作されている。コンスタンティノポリスやローマを逃れた貴族たち(アニキア・ユリアナなど)といった他の有力なパトロンたちとの対抗心がユスティニアヌスに王朝の権威の強化を示す手段として首都での建築活動を強いさせたのであろう。 ユスティニアヌスは要塞群を建設してアフリカから東方まで帝国の国境を強化し、また地下貯水槽(バシリカ・シスタン)を建設してコンスタンティノポリスの水供給を確保した。戦略的に重要な街のダラを洪水の被害から防ぐために前進型アーチダムを建設した。彼の治世にはサンガリウス大橋がビテュニアに建設され、東方への補給路を確保している。それ以上にユスティニアヌスは地震や戦争で破壊された諸都市を再建し、また彼の出生地の近くにユスティニアナ・プリマを建設した。これはテッサロニカに代えてイリュリクム属州の政治的宗教的な中心地たるを意図していた。 ユスティニアヌスの治世下、一部は彼のパトロンのもとで、東ローマ帝国文化はプロコピオスやアガティアスを含む著名な歴史家や黙祷者パウロや声楽家ロマヌスといった詩人たちを生みだした。一方で、アテネのプラトン大学やベイルートの有名な法学校 などの重要な機関がこの時期に失われている。過去のローマの栄光へのユスティニアヌスの情熱にも関わらず、執政官の選挙の実施は541年以降は消滅した。
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