廃車後の利用とは? わかりやすく解説

廃車後の利用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:09 UTC 版)

営団5000系電車」の記事における「廃車後の利用」の解説

2013年まで静態保存されていた5833号車2006年7月16日 / 南砂町駅新砂あゆみ公園構内入れ換え用に使われていた、元千代田線北綾瀬支線用車両2005年 / 新木場検車区) 3両で留置中の元第97編成一部2006年9月23日 / 行徳検車区近く公道より) ジャカルタ使用中車両2010年11月17日 / ジャカルタコタ駅綾瀬車両基地にて保存中の北綾瀬支線5000系5951F(2019年11月17日 / 綾瀬車両基地にて撮影アルミ車のリサイクル東葉高速鉄道への譲渡については前述したので、本節では省略する。 トップナンバー車である5001号車日比谷線3000系3001号車ともに地下鉄博物館静態保存する計画があった。このため1991年平成3年3月除籍後行徳検車区当時)内で保管されていた。しかし、日比谷線から長野電鉄譲渡した3000系車両踏切事故損傷し3001号車はその代替車として同社譲渡されることとなったため、3001号車譲渡決定後の1994年平成6年2月5001号車解体処分された。 1990年代前半廃車となった車両のFS502A形台車などは千代田線北綾瀬支線運用されていた6000系1次試作車5000系転用された。このほか、FS502形台車など部品一部大井川鐵道京阪電気鉄道3000系譲受改造使用)に譲渡され使用されている。 1994年平成6年7月廃車となった5811編成のうち、5811号 - 5226号 - 5011号は新木場CR内で構内自動入換システム試験車両として使用された。その後2004年度解体された。 2000年廃車となった北綾瀬支線車両のうち、5846編成3両は新木場CR内で入換車として使用されていたが、2005年平成17年)に解体された。 2001年平成13年)に廃車された先頭車のうち、5833号車車体後部から車両中程までがカットされ江東区寄贈南砂町駅3番出口前にある新砂あゆみ公園静態保存されていたが、相次ぐ部品盗難悪戯などにより、外装内部破損欠損激しくなっていた。2013年9月南砂町駅改良工事に伴い撤去された。 2005年には廃車後短縮された5847編成の3両が深川行徳検車区教習車両転用されて使用されていたが、2007年解体された。その後は5950編成の3両が教習車両として使用されていたが、2010年解体された。 冷房改造車の廃車が始まる頃にはしなの鉄道との間に譲渡計画存在したが、同社側の計画変更により実現しなかった。しかし、置き換え末期2006年になってからインドネシアの鉄道会社であるPT. Kereta Api(現.PT Kereta Commuter Indonesia)との間で売却交渉成立し当時東西線在籍車はジャカルタ近郊輸送用として輸出されることが決定した。5817以下の10両(第67編成)は同年10月15日に、5816以下の10両(第66編成)は12月17日川崎市埠頭運び込まれ輸出された。2007年4月22日には5809以下10両(第59編成)も輸出された。 2022年現在、5951Fが綾瀬車庫にて動態保存されている。

※この「廃車後の利用」の解説は、「営団5000系電車」の解説の一部です。
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