序盤の成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 16:12 UTC 版)
701のデビュー戦は有望であったため、マーチ・エンジニアリングとティレルは2週間後にブランズ・ハッチで開催されたノンタイトル戦のレース・オブ・チャンピオンズに参戦した。再びスチュワートは701/2でポールポジションを獲得し、701/1でエイモンが予選7位となったが、今回スチュワートは予選結果に続いて決勝でも勝利を獲得することができた。この勝利はマーチ製の車が初めて獲得した勝利であり、コンストラクターとしてF1において2度目のレースであった。エイモンはカムシャフトの故障に苦しみ、50周のレースであったが10周目でリタイアした。[要出典] 1ヶ月後、南アフリカグランプリに参戦した5台のうち4台が、ハラマ・サーキットで行われた第2戦スペイングランプリに出場した。シフェールは予選落ちし決勝には出場できなかった。ここでスチュワートはジャック・ブラバムにポールポジションを奪われたが、予選3位のフロントローからスタートし、ほとんどの周回をラップ、マーチの世界選手権における初勝利を挙げた。アンドレッティは予選16位からスタート、グラナテリの車を3位表彰台に押し上げた。セルボ=ギャバンはティレルの新しいセカンドマシンである701/7をドライブ、予選14位からスタートし5位に入った。エイモンは再びエンジントラブルでリタイアした。[要出典] 1週間後、F1サーカスが次のノンタイトル戦のためにイングランドに戻ったときにエイモンの運が変わった。マーチワークスとティレルはそれぞれナンバー1ドライバーのみをエントリーさせた。シルバーストンで行われた1970年BRDCインターナショナルトロフィーの第1ヒートでエイモンはポールポジションを獲得し、26周にわたってトップを保持、ファステストラップも記録しそのまま勝利した。スチュワートは予選も決勝も2位で終わった。第2ヒートで2人の立場は逆転し、スチュワートが勝利しファステストラップも記録、エイモンは彼に次いで2位となった。しかしながら、全体的なイベントの結果は2つのヒートの合計時間で計算され、エイモンはスチュワートに10秒差を付けてインターナショナルトロフィーを獲得した。[要出典] 5月に行われた1970年モナコグランプリではワークスとティレルのマシンに加え、黄色とマルーンの701、シャシーナンバー701/8が出場した。これはプライベーターのアンティーク・オートモビルズに販売されたマシンで、スウェーデン人ドライバーのロニー・ピーターソンがステアリングを握った。予選は701/2のスチュワートがポールポジションを獲得、エイモンは701/1で予選2位となった。シフェールは11位、ピーターソンは12位となり、セルボ=ギャバンは予選落ちし、視力の低下を自覚した彼はF1から引退した。決勝ではスチュワートが57周目にエンジントラブルでリタイア、エイモンも60周目にリアサスペンションの損傷でリタイアした。ピーターソンとシフェールは完走したが、完走車の末尾、7位および8位であった。シフェールは76周目に燃料を使い切っていた。[要出典]
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