幼少期からプロデビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:52 UTC 版)
「ボブ・フェラー」の記事における「幼少期からプロデビューまで」の解説
息子のために農地の片隅にダイヤモンドを作り、発電機と電灯で簡素な「照明設備」を作るなど、まるで映画「フィールド・オブ・ドリームス」の主人公のような野球好きな父にピッチングを教わり、17歳でクリーブランド・インディアンスと契約した。しかし当時のMLBは高校生との契約を禁じていたこともあり、球団はフェラーを一旦マイナーチームに所属させて隠そうとしたがすぐにインディアンスの作戦は発覚し、他球団の抗議もあって当時のケネソー・ランディスコミッショナーが登場し、インディアンスが罰金を支払うことで契約が認められた。 入団時の契約金は1ドルであったが、両親が農場を持っており生活には比較的余裕があったため入団当時のフェラーは金銭には興味を持たなかった。 フェラーはその後、18シーズンに渡ってインディアンス一筋にプレーし通算266勝、2581奪三振を記録した。アメリカンリーグの最多奪三振に輝くこと7回、ノーヒットノーラン(無安打試合)達成3回のほか、1安打試合も12回達成している(MLB最多記録)。 1936年8月23日のセントルイス・ブラウンズ戦でわずか17歳でメジャーデビューを果たし、9月13日のフィラデルフィア・アスレチックス戦では1試合17奪三振を記録。1試合で年齢と同数(またはそれ以上)の三振を奪ったのは、この時のフェラーとケリー・ウッド(20歳で20奪三振)のみである。オフに21歳となる1938年までに31勝を記録し、21歳の誕生日までにMLBで(通算)20勝を記録した最初の投手となった。 1938年には初の2桁となる17勝をあげ、240奪三振で初の最多奪三振のタイトルに輝いた。1939年には24勝9敗、防御率2.85、246奪三振で最多勝・最多奪三振の二冠王に輝く。1940年の開幕戦(対シカゴ・ホワイトソックス)ではMLB史上初(現時点で唯一)の開幕戦ノーヒットノーランを達成し、この年も27勝11敗、防御率2.61、261奪三振で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を獲得した。1941年も25勝13敗、防御率3.15、260奪三振で3年連続最多勝利と4年連続最多奪三振をあげた。
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