幼少期からポントス王即位まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 15:36 UTC 版)
「ミトリダテス6世」の記事における「幼少期からポントス王即位まで」の解説
エウパトルはポントス国王ミトリダテス5世エウエルゲテスとラオディケ6世の長子として紀元前132年にポントス王国の王都シノーペで誕生した。母ラオディケはセレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスの娘として、セレウコス朝の源流であるヘレニズム以来のギリシア文化と地元シリアに根付くオリエント文化を理解した教養豊かな人物であり、エウパトルも母の影響を受けて、幼少期より学術・言語・武術いずれにも秀でた才能を示したとされる。 エウパトルは次期王位継承者の1人であり、父が紀元前120年に死亡(暗殺とも言われる)すると王位を継いでミトリダテス6世と名乗った。しかし権力争いが生じミトリダテス6世が未だ幼少であったこともあって、ポントス王国の統治権は母が掌握しミトリダテス6世は監禁された。 母達によって命を狙われたものの、辛くも逃れると共に王宮より逃亡して数年間を荒野で過ごした後、紀元前120年にクーデターにより母を軟禁してポントス国王の座を手中に収めた(母は数年後に死去したと伝えられる)。クーデターにより王位を得た前後にミトリダテス6世の妹ながら妻としたラオディケ以外の兄弟全員を殺害した。
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