幼少期からボリビアでの選手生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:36 UTC 版)
「石川康」の記事における「幼少期からボリビアでの選手生活」の解説
1970年3月10日、ボリビアのオキナワ移住地に生まれる。父親、母親ともに沖縄県からボリビアへの移民だった。4人兄弟の末っ子。家は貧しく、電気と水道がなかったので、毎日ドラム缶を引っ張り、家から約8km先まで水汲みに出かけていくのが幼少の頃の日課だった。また兄と共に庭先で飼っていた鶏の卵を街まで売りに行く仕事もやっていた。7歳のときに、農地を売った金を元に母親が小さなスーパーマーケットを始め、生活が安定。このとき、初めて家に電気と水道が引かれた。 夏休みに兄とサンタ・クルス・デ・ラ・シエラにあったサッカー選手養成学校、アカデミア・タウイチ・アギレラの練習に参加するも、兄のプレーはコーチの目にとまり、熱心に入校を勧められたが、これを断っている。 石川はチームへ入りたいと希望し、親の説得を続け、10歳のときに入校。 この時のチームメイトに、マルコ・エチェベリ、エルウィン・サンチェスがおり、後にこの2人を含むチームのメンバー達は、ボリビア代表の主力メンバーとなり1994年のFIFAワールドカップ本大会への出場を決め、ワールドカップのフィールドに立った。 1984年、1985年にはの主力メンバーとして、ゴシアカップ連覇に貢献した。中国で開催された1985年の第1回ワールド・ジュニア・ユース(U-16世界選手権)にチームがそのままボリビア代表として出場。中国、アメリカ、ギニアと比較的恵まれたグループリーグに入った。石川は3試合すべてに出場するも、チームは未勝利でグループステージ敗退。 1987年、17歳の時にカナダで開催された第2回ワールド・ジュニア・ユースでは一次リーグ敗退したものの、主力選手として3試合すべてに出場している。
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