平安から戦国時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:24 UTC 版)
平安時代 前期 - 夏見台遺跡(夏見台)・夏見大塚遺跡(夏見台)・印内台遺跡(印内)・印内遺跡(印内)・本郷台遺跡(西船)・本郷台遺跡(西船)・海神大西遺跡(海神)などの遺跡が見られる。 863年(貞観5年) - 『日本三代実録』に「下総国意富比神社」の名が見られる。 927年(延長5年) - この年に成立した『延喜式』に「意富比神社」・「二宮神社(論社)」の名が見られる。 935年(承平5年) - この年に成立した「倭名類衆抄」の郷名に「栗原郷」の名が見られる。2月 - 平将門の乱が起こる。市内各地に将門伝説が伝わる。 1138年(保延4年) - 海老川流域の湊郷、夏見郷、金曾木郷、宮本郷、高根郷が伊勢神宮の御厨(船橋御厨)となる。御厨内に夏見神明社・豊受神社などが創建される。 1186年(文治2年) - 『吾妻鏡』によれば船橋御厨が伊勢神宮の御厨から白河院領となる。 鎌倉時代 12世紀末 - 豊富地区の一部が萱田神保御厨(臼井氏の荘園)となる。 14世紀 - 歴史書「吾妻鏡」で、船橋という地名がはじめて現れる。 1331年(元徳3年) - 『中山法華経寺文書』に「古牟呂村」(小室村)の名が見られる。 室町時代・戦国時代 南北朝時代から室町時代にかけて市域の西部・北部は、法華経寺領(千葉胤貞より移譲)、東部は馬加氏(馬加城主)の領地となる 戦国時代前後、市域を含む下総国西部が千葉氏家臣の原氏(生実城主)の領地となる。 1410年(応永17年) - 『浄光院文書』に「大神保村」の名が見られる。 1423年(応永30年) - 御滝山金蔵寺開山。 1445年(文安2年) - 「下総三山の七年祭り」の祭礼の元となった磯出祭りが行われるようになる。 1563年・1564年(永禄6年・永禄7年) - 小金原(習志野台にあった酒山砦)で第二次国府台合戦の小競り合いが起きる。 1566年(永禄9年) - 上杉謙信の攻勢に伴い、原氏が臼井城に拠点を移動。栗原・船橋の領地が高城氏(小金城主)に移譲される。 1568年(永禄11年) - 北条氏の豪族に攻撃され、夏見城(現:長福寺)が落城。
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