平安の三筆→寛永の三筆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 05:38 UTC 版)
安土桃山時代に能書をもって聞こえた本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗の3人は、三筆といわれていた。が、平安時代の三筆と区別して、初め京都の三筆といわれ、また平安の三筆(この平安は京都の意)や洛下の三筆などと称した。あるいは、後の三筆、近世の三筆、慶長の三筆ともいわれている。しかし、江戸時代前期の寛永年間を中心とした約80年間の文化を寛永文化ということから、寛永の三筆の呼称が普通である。なお、空海・橘逸勢・嵯峨天皇の3人を平安時代の意から平安の三筆と呼ぶのは誤りで、平安の三筆とは、前述のように寛永の三筆の古称を指す。
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