幕内・十両の取組編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:47 UTC 版)
幕内の取組編成は、初日、2日目の分は初日の2日前に、3日目以降の分は前日の午前に決定して発表する。令和時代になって以降は、千秋楽の分は14日目の全取組終了後に編成される。平成時代までは、14日目の夕方に編成されていた。十両の取組編成は、初日の分は2日前に、2日目以降の分は取組とほぼ同時進行で編成される。 原則として幕内下位および十両の力士は初日は同地位の力士と対戦するように組み、おおむね序盤戦は番付の近い者同士で取組を編成する。逆に横綱・大関は序盤戦に関脇以下の力士と対戦し(初日は原則として横綱と小結が対戦するのが慣例となっている)、千秋楽に同地位の力士と対戦することを慣例としている。 すなわち、最上位の東横綱は千秋楽が西横綱、14日目が東大関、13日目が西大関という具合になる。横綱対役力士、大関同士の対戦は原則として組まれることになっているが、幕内下位の力士が好成績を挙げて優勝争いに絡んできたときは、終盤にその力士を横綱や三役と組ませ、横綱、大関同士の取組の一部を飛ばす処置をとる(「割を壊す(崩す)」という)。また、幕内の優勝争いの展開によっては、横綱・大関同士の対戦順を入れ替えて、千秋楽まで優勝争いが続くよう配慮する場合がある。 土日にあたる初日、7日目、8日目には注目の取組(人気力士同士の対戦や、注目力士が横綱・大関と対戦する等)が組まれることが多い。大関同士の取組や横綱-大関戦は、通常は早くても中日(8日目)以降に割が組まれるが、横綱・大関の人数が多いときなどは7日目以前に組まれることもある。1972年(昭和47年)1月場所から翌1973年(昭和48年)11月場所まで、序盤から横綱、大関同士の取り組みが組まれた(エピソードの項参照)。 昭和の天覧相撲では、昭和天皇が威勢の良い相撲を好んだためもあり、1975年(昭和50年)5月場所8日目の前頭筆頭富士櫻-小結麒麟児戦など激しい突っ張り合いが期待される取組を組むことが恒例になっていた。
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