市長二期目
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2007年9月10日の市議会で、2008年の市長選に立候補して再選を目指すことを正式表明。市長選には、他に共産党推薦の井上敏一、民主・社民党推薦の黄瀬紀美子が出馬した。目片は自身を「市民党」と位置づけて各政党に推薦を要請し、市議会最大会派で自民党系の「大志会」と公明党議員団の支持を得た。自民党、公明党の県連も目片の推薦を表明し、これに加えて約420の推薦団体が組織的に目片を支援した。2007年の参議院選挙で自民党を中心とした与党は敗北しており、目片も「過去5回の選挙で一番苦しい」と語ったが、目片は現職としての知名度・実績をアピールし、少子高齢化や地震への対策を主張し、2008年1月20日に執行された市長選挙で黄瀬候補を約3,600票差で下して再選を果たした。 2008年2月、道路特定財源の堅持を求める滋賀県総決起大会の発起人となる。「県民が望む必要な道路整備を促進するため」に暫定税率の堅持を主張した。 3月2日に風邪気味で大津市民病院で診察を受けた後、肺炎と診断されて再び緊急入院した。その後、集中治療室で治療を受けており、市議会にも欠席した。同月25日に退院して自宅療養を続け、31日から公務に復帰した。 2009年4月1日に大津市を特例市から中核市に移行することを選挙公約としていた。2008年4月30日に嘉田知事に同意を申し入れ、7月23日に嘉田知事から同意書を受け取った。公約通り翌年4月に大津市は中核市に移行した。 8月7日に、大戸川ダムの建設について、県が独自に洪水対策をした場合に工事費が余計にかかることを指摘し、「対話どころじゃない、全然聞く耳を持たない」と知事の「対話不足」を非難した。12月15日にも県議会にダム建設中止意見案を提出した嘉田知事に対して、説明を求める緊急要請を行った。 2009年2月16日に太ももの静脈に血栓が詰まる「深部静脈血栓症」となり、大津市民病院に入院。17日に手術を行い、その後25日に退院した。 2011年4月の滋賀県議会議員選挙に息子の目片信悟が無所属で立候補し初当選した。 2012年1月22日に投開票が行われた大津市長選挙に3選を目指し立候補(自民党、公明党推薦)するも、新人の越直美(民主党、社民党推薦)に敗れた。
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