市兵衛の独立とは? わかりやすく解説

市兵衛の独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:10 UTC 版)

古河財閥」の記事における「市兵衛の独立」の解説

古河市兵衛天保3年1832年) - 1903年明治36年))は、京都岡崎商家木村家次男木村巳之助として生まれたが、既に実家没落していたという。市兵衛丁稚奉公出された後、貸金業営んでいた叔父手伝い、その知人である古河太郎左衛門養子となり、古河市兵衛名乗る太郎左衛門は、京都にある小野組生糸買付を担っていたが、病気倒れると、代わりに市兵衛小野組使用人になり、生糸輸出米穀取引蚕糸などの取引活躍幕末期において三井組(のち三井財閥)と並ぶ有力な番頭になった1872年明治4年/明治5年)には鉱山事業家・岡田平蔵提携し秋田県下の鉱山経営行なったが、2年後岡田死去鉱山経営小野組引き継ぐことになるが、1874年明治7年)に破綻。翌1875年明治8年)に独立し鉱山事業に自ら取り組むことになった。これが古河財閥始まりであり、今日古河機械金属前身である。 市兵衛ビジネス基本学んだ小野組は元は近江商人で、陸羽地方物産京都・大阪の物産交易していた。後に事業拡大し明治維新当時三井組島田組と並ぶ大金業者であった1868年明治元年)、小野組三井組島田組と共に政府為替方を命ぜられ、新政府租税収納送付取り扱った小野組は、更に生糸貿易製糸鉱山米相場・油相場などへも進出し第一国立銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)を三井組と共に出資設立する至った。しかし、事業拡大に伴う放漫経営大蔵省為替方としての任務懈怠主因大蔵省より閉店処分を受け、1874年明治7年)に破綻小野組事業資金は、第一国立銀行からの借入賄っていたから、第一国立銀行共倒れする可能性があった(同行貸出金総額300万円のうち、約140万円小野組貸し出されていた)。 そこで、第一国立銀行総監役(頭取)の渋沢栄一は、面識のあった市兵衛善処依頼市兵衛はこれに応じ市兵衛小野組所有する株式鉱山やその建造物など十分な担保提供し第一国立銀行損失2万円弱にとどめた。しかしその結果市兵衛裸一貫となって小野組を去ることになる。渋沢栄一はこの時の市兵衛行動感謝し以来親密な関係となった。現在、澁澤倉庫古河グループ属しているのには、このような経緯もある。

※この「市兵衛の独立」の解説は、「古河財閥」の解説の一部です。
「市兵衛の独立」を含む「古河財閥」の記事については、「古河財閥」の概要を参照ください。

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