巨砲混載艦
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より強力な戦艦を作るための1つのアプローチとして、副砲を減らし、代わりにより大口径の砲、たとえば9.2インチ (234 mm) あるいは10インチ (254 mm) の砲を装備するという手段がある。そうした戦艦は一般に「巨砲混載艦」、のちには「準弩級戦艦」と言われ、イギリスのキング・エドワード7世級やロード・ネルソン級、フランスのダントン級、日本の薩摩型などがそれに当たる。これらの戦艦の設計にあたっては、その過程でしばしば「単一口径巨砲」という選択肢についても議論されていた。 「アメリカ海軍協会報 (Proceedings of the US Naval Institute)」1902年6月号には、アメリカ海軍の主導的な砲術の専門家であるP・R・アルジャー教授の、12インチ (305 mm) 砲8門を連装砲塔4基に納めるという提案が掲載されている。建艦補修局 (Bureau of Construction and Repair) は1902年5月、12門の10インチ (254 mm) 砲を連装砲塔に納め、前後に2基、両舷に4基配置する戦艦の提案を行った。H・C・パウンドストーン少佐はより大きな戦艦に関する建白書を1902年12月にセオドア・ルーズベルト大統領に提出したが、その文書の付属別紙において、多数の11インチ (279 mm) 砲と9インチ (229 mm) 砲は、より少ない数の12インチ砲と9インチ砲より好ましいと述べている。海軍大学校と建艦補修局は、1903年から1905年にかけての研究で単一巨砲のアイデアをつかんだ。すなわち、1903年7月に開始された兵棋演習において、『11インチ (279 mm) か12インチ (305 mm) の砲を六角形に配置した戦艦1隻は、在来型戦艦の3隻またはそれ以上に匹敵する』ことが明らかになったのである。 イギリス海軍でも同様な流れが生じていた。1902年から1903年にかけて、備砲を2種類の口径を持つ大口径砲(すなわち12インチ (305 mm) 砲4門と9.2インチ (234 mm) 砲12門など)とする設計が提出されたが、結局海軍本部は、1903–04年の建艦計画ではキング・エドワード7世級(12インチ、9.2インチ、6インチ (152 mm) の混載)をもう3隻造るという決定を下した。この考えは1904–05年の計画で復活し、ロード・ネルソン級となった。同級は、船体中央部の長さと船体幅の制約から、中央の9.2インチ砲の砲塔は連装でなく単装となったが、12インチ砲4門と、9.2インチ砲10門を備え、6インチ砲は持たなかった。この設計者J・H・ナーベスは12インチ砲12門という代替案も提出していたが、海軍本部にはまだそれを受け入れる用意ができていなかった。多種口径砲の混載の背景には、日露戦争がもたらした国際緊張に対応するために出来るだけ早く戦艦を建造するという差し迫った理由があった。
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