工事の様相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:51 UTC 版)
建設工事は積極的に機械化された。資材輸送の手段として、最寄の中央本線大井駅(現・恵那駅)とダム建設地左岸を結ぶ全長4.3キロメートルの専用鉄道を敷設し、木曽川を横断する索道2本を架設した。鉄道終端とダムの間にある傾斜地には砕石・コンクリート工場を設置。コンクリート打込み作業は、4台のミキサーにより生コンクリートを練りだしてトロッコに積み込み、それをガソリン機関車牽引でダム上部に架橋されたトレッスル橋上へ運搬、そこからシュートを利用して流し込み、下でケーブルクレーンによって玉石を打ちこむ、という流れであった。これらのミキサー・機関車・ケーブルクレーンや蒸気ショベルはアメリカからの輸入品である。これらの機械化作業により1か月に最大1万2,300立方メートルのコンクリート打設が施工された。 工事中、度重なる洪水被害が工事の支障となり、さらに金融面でも1923年(大正12年)9月の関東大震災で金融梗塞が生じた。このころ、大同電力では大井ダム工事に要する追加資金、次に着手した落合ダム工事の資金、短期社債の借り換えなどで多額の資金を必要としていたことから、翌1924年(大正13年)5月に外債発行を決定する。そして社長の福澤桃介自ら渡米して交渉を重ね、同年8月外債1500万ドルの発行を実現させた。 着工から2年1か月後の1924年8月16日、大井ダムの湛水を開始。同年11月下旬に大井発電所が竣工して28日から逓信省の検査が始まり、翌12月5日に検査終了とともに使用認可が下りて発電所の運転が開始された。大井発電所の主要機器はすべてアメリカからの輸入品であり、水車はアリス・チャルマーズ(英語版)製、発電機はゼネラル・エレクトリック (GE) 製、変圧器はウェスティングハウス・エレクトリック製のものが設置されている。当初の発電所出力は4万2,900キロワットで、前年竣工の読書発電所 (出力4万700キロワット)を抜いて当時日本最大の発電所となった。送電線は木曽川筋から大阪府へと至る「大阪送電線」が接続し、大井発電所の発生電力は須原・読書両発電所の発生電力とともに関西地方へと送電された。
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