岡田啓介首相
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内閣総理大臣・退役海軍大将の岡田啓介は天皇大権を掣肘する「君側の奸」として襲撃の対象となる。 全体の指揮を栗原安秀中尉が執り、第1小隊を栗原中尉自身が、第2小隊を池田俊彦少尉が、第3小隊を林八郎少尉が、機関銃小隊を尾島健次郎曹長が率いた。 まず正門の立哨警戒の巡査が武装解除され、異変を察知して飛び出した外周警備の巡査6名も続いて拘束された。しかしこの間に邸内警備の土井清松巡査が総理秘書官兼身辺警護役の松尾伝蔵退役陸軍歩兵大佐とともに岡田総理を寝室から避難させ、村上嘉茂左衛門巡査部長が廊下で警戒に当たった。また裏門の詰め所では、小館喜代松巡査が特別警備隊に事態を急報する非常ベルを押す一方、清水与四郎巡査は邸内に入って裏庭側の警備に当たった。非常ベルの音を聞いて襲撃部隊が殺到するのに対し、小館巡査は拳銃で応戦したものの、全身に被弾して昏倒した(後に警察病院に収容されたものの、午前7時30分、「天皇陛下万歳」の叫びを最後に殉職)。また清水巡査は、裏庭側からの避難を試みた岡田総理一行を押しとどめたのち、非常避難口を守ってやはり殉職した。 廊下を守る村上巡査部長は数分に渡って襲撃部隊と銃撃戦を演じたものの、全身に被弾しつつ一歩一歩追い詰められ、ついに中庭に追い落とされて殉職した。この間に邸内に引き返した岡田総理は女中部屋の押入れに隠され、松尾大佐と土井巡査はあえてそこから離れて中庭に出たところを襲撃部隊と遭遇、松尾大佐は射殺され、土井巡査も拳銃弾が尽き、林八郎少尉に組み付いたところを左右から銃剣で刺突され、殉職した。しかしこれらの警察官の抵抗の間に岡田総理は隠れることができ、また、襲撃部隊は松尾大佐の遺体を見て岡田総理と誤認、目的を果たしたと思いこんだ。 松尾大佐の遺体を見た襲撃部隊が、岡田総理を殺害したと誤認した経緯については「松尾伝蔵#二・二六事件での死」を参照 一方、遺体が松尾のものであることを確認し、女中たちの様子から総理生存を察知した福田耕総理秘書官と迫水久常総理秘書官らは、麹町憲兵分隊の小坂慶助憲兵曹長、青柳利之憲兵軍曹および小倉倉一憲兵伍長らと奇策を練り、翌27日に岡田と同年輩の弔問客を官邸に多数入れ、反乱部隊将兵の監視の下、変装させた岡田を退出者に交えてみごと官邸から脱出させた。
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