岡田十松の系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:21 UTC 版)
岡田吉利は「撃剣館」という道場を開いた。岡田吉利の弟子に、岡田吉貞(2代目 岡田十松を襲名)、鈴木重明(鈴木斧八郎。のちに鈴木派無念流を開く)や斎藤弥九郎、金子健四郎、江川英龍、藤田東湖、渡辺崋山らがいる。岡田吉利以後は、吉利の子・岡田吉貞(2代目 岡田十松)が第4代となった。吉貞は岡田吉利や斎藤弥九郎を凌ぐ達人であったとされ、隠居後に斎藤の道場「練兵館」の客分となり、練兵館で指導にあたった。 第3代の岡田吉利の弟子であった斎藤弥九郎は、撃剣館師範代を務めた後、文政9年(1826年)に練兵館を開いた。斎藤を凌ぐ実力の岡田吉貞が、弟の岡田利章(3代目・岡田十松)に撃剣館と流儀を継承(第5代)させ、自身は練兵館の客分となって指導にあたった。練兵館は、千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館と並ぶ隆盛を誇ったといわれ、後に幕末江戸三大道場と言われている。 練兵館および斎藤家から諸藩への指導は、地方に一時的に滞在しての指導と、江戸の練兵館に入門した者への指導や諸藩の江戸藩邸での指導のみで、大村藩に召し抱えられた斎藤歓之助(後述)を除いて斎藤家から諸藩に正式に仕官した事例は無い。
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