岡山大学での活躍
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1986年、和田に呼ばれて岡山大学工学部助教授に着任。引き続き和田のもとで空気圧アクチュエータの制御やロボット研究に取り組む。1991年教授昇進。三井造船やマツダなど、企業からの技術相談に関する産学連携研究にも取り組んだ。1996年には新設されたシステム工学科に配置換え。空気圧アクチュエータの制御では、外乱オブザーバやロバスト制御(英語版)、ニューラルネットワークなど様々な制御理論を早い時期に導入した。 2002年には地域共同研究センター長を務め、大学院重点化に伴い大学院自然科学研究科教授。コアテック株式会社など企業からのテーマとともに、自分達のシーズ研究も意識。空気圧機器を用いた福祉支援機器を開発していく。共同研究や受託研究として、4足移動ロボットや自動車用シートのインテリジェント化、トイレ支援用パワーアシストウエアの研究開発、空気圧ゴム人工筋(英語版)の標準化に取り組み、医療用のバルーン型やウエアラブルデバイス用の小型のものなど、エアポンプの実用化研究にも取り組んだ。 則次は岡山大学病院との医工連携にも取り組み、パワーアシストグローブはダイヤ工業株式会社から製品化された。また、産学連携活動として「おかやまロボット研究会」を立ち上げ、和田を会長として則次自身は幹事を務めた。2009年4月には大学院自然科学研究科長に就任し、1期4年を務めた。この間、2010年に設立された「おかやま生体信号研究会」の会長に就任し、2014年春まで務めた。
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