山陽鉄道軍用列車海中転落事故とは? わかりやすく解説

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山陽鉄道軍用列車海中転落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「山陽鉄道軍用列車海中転落事故」の解説

1895年明治28年7月25日 当時山陽鉄道路線だった山陽本線尾道駅 - 糸崎駅間を深夜走行していた上り軍用列車蒸気機関車牽引客車23両、車両はすべて鉄道局所有)が、神戸起点225.3km付近現在の広島県三原市尾道市境界)において、折から暴風雨による満潮時の波浪で、築堤300mわたって崩壊していた線路突入したため、機関車客車6両が瀬戸内海脱線転落した軍用列車には日清戦争従軍した傷病兵付添人乗員358名が乗車していたが、11死亡(うち乗員3名)し、98名が負傷した事故後脚気で3名が死亡したため、後述慰霊碑では乗客死者11名としている。機関車乗務していた機関士火夫見習い殉職したが、火夫顔面負傷のみで助かり海中転落した客車から傷病兵救助し事故発生知らせるために徒歩尾道駅向かった。 現在、同区間海岸から少し離れたところに線路があり、海岸との間に国道2号があるため、同種の災害起きる危険度は低い。慰霊碑事故から41年後の1936年第5師団の手建立されており、現在も山陽本線才の原踏切尾道バイパス鉄道立体交差地点)の傍らにある。 参考山陽鉄道脱線 明治28年7月26日東京日日新聞新聞集成明治編年史. 第九卷』(国立国会図書館デジタルコレクション

※この「山陽鉄道軍用列車海中転落事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の解説の一部です。
「山陽鉄道軍用列車海中転落事故」を含む「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事については、「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の概要を参照ください。

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