山名の由来と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/17 18:29 UTC 版)
決定的な説がないが、有力な説のひとつに、隣にある丹生山で丹生(にゅう)が採れたため、当時修験道の山であった周辺の山にこもった修験者や山伏が、この丹生を用い不老長寿の薬を調合した。しかしながら、水銀が含有されていたため中毒を起こし痺れることがあったのでシビレ山と言われるようになったというものである。修験者や山伏は丹を妙薬として試しながら歩きはじめたものの、シビレ山に至ったあたりで体が痺れはじめたと推測する向きもある。 現在、衝原湖畔の登山口から丹生山への登山ルートの、丹生神社からのメインルートに合流するあたりに古い石垣があり、そこに「史蹟 丹生山城、丹生山明要寺跡」という碑が立てられている。さらにひとつ室町時代の絵図の画像付きの「丹生山明要寺参詣曼陀羅」という案内板があり、歴史が簡単に紹介されている。 それによると、周辺は6世紀に百済から渡来した童男行者が建立した明要寺があった。「丹生」という名の通り、山では丹(硫化水銀)が採集されていた。福原京を作った平清盛が、比叡山になぞらえて堂塔を整備、明要寺を僧兵も抱えるほどの大寺院とするも、戦国の兵火と、さらには明治の廃仏毀釈で廃寺となり、鎮守社であった丹生神社だけが残され、今に至っているという。
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山名の由来と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 05:56 UTC 版)
位山には岐阜県の県木であるイチイの原生林がある。位山の名前の由来について、朝廷に位山のイチイを笏の材料として献上した際、この木が一位の官位を賜ったことから木はイチイ、山は位山と呼ばれるようになったという説があり、現在でも天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されている。古来より霊山とし崇められている。新古今和歌集で源通親(土御門内大臣)が、「位山あとをたづねてのぼれども 子を思ふ道になほ迷ひぬる」と詠んでいる。天孫降臨、天の岩戸、両面宿儺などの伝説のある山である。位山街道は7世紀末に飛騨の匠丁が、京に木工などの労働のために移動する際に利用されていた。
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