山下 (新潟市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/21 16:11 UTC 版)
山下 | |
---|---|
— 大字(廃止) — | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
等時帯 | JST (UTC+9) |
廃止 | 1943年(昭和18年) |
山下(やまのした)は、かつて新潟県新潟市にあった町字。1943年(昭和18年)に住居表示が実施されたことにより消滅した。
以下の記述は消滅直前当時の旧山下に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。
概要
1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)の大字。信濃川右岸に位置する[1]。
もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった山下新田の区域の一部で、地名の由来は、加賀国山下からの移住者によって開発されたことによる[1]。
歴史
![]() |
この節の加筆が望まれています。 |
1633年(寛永10年)に開発[1]。1889年(明治22年)に松島村の大字となり、1914年(大正3年)まで山下新田と称した[1]。
分立した町字
1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- 山ノ下通(やまのしたどおり)
- 1940年(昭和15年)から1964年(昭和39年)の町字[1]。1940年(昭和15年)4月に4丁目、10月に1丁目から4丁目となる。もとは山下、沼垂の各一部[1]。
- 1943年(昭和18年)に山下の一部を編入。1964年(昭和39年)1月に山の下町、古川町、北葉町、長者町、古湊町、神明町、大山1丁目から2丁目となる[1]。
町字の変遷
1940年 (昭和15年)以前 |
1940年 (昭和15年) |
1943年 (昭和18年) |
1964年 (昭和39年) |
---|---|---|---|
山下 | 山ノ下通 | 山の下町 | |
末広通 | |||
古湊町 | |||
山下 | 神明町 | ||
浜町 |
年表
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により松島村の大字となる。
- 1898年(明治31年)2月4日 : 合併により沼垂町の大字となる。
- 1914年(大正3年)4月1日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 1940年(昭和15年) : 一部から山ノ下通4丁目、末広通1丁目から4丁目、古湊町が分立。
- 1943年(昭和18年) : 一部から山ノ下通1丁目から4丁目、神明町、浜町が分立し、字山下が消滅する。
脚注
注釈
出典
参考文献
- “区別人口・世帯数、町丁別人口・世帯数(住民基本台帳人口)”. 新潟市. 2014年4月25日閲覧。
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』 (株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』 新潟市、2004年3月31日。
関連項目
「山下 (新潟市)」の例文・使い方・用例・文例
- 山下保険株式会社の営業本部の本部長の青木と申します。
- 私、石井コーポレーション株式会社の企画部の本部長の山下と申します。
- 必死で考えた企画は却下、一生懸命作った本は売れない。山下さんは八方塞がりの状態に陥っている。
- 山下泰裕と言えば, 言わずと知れた柔道家で, ロサンゼルス五輪で金メダルを取った人だ.
- 山下教授本日休講. 【掲示】
- 山下を流れる水
- 今春の受章者は女優の十(と)朱(あけ)幸(ゆき)代(よ)さん(60),小説家の渡辺淳一さん(69),ジャズピアニストの山下洋(よう)輔(すけ)さん(61)らを含んでいる。
- 田(た)尾(お)安(やす)志(し)氏が監督に,そして山下大(だい)輔(すけ)氏がヘッドコーチを務める予定だ。
- 巡航客船としての引退後,同船は,横浜港の山下公園に係留され,一般に公開された。
- 氷川丸は山下公園に留め置かれるが,同船の今後はまだ決まっていない。
- この7人の選手には1988年ソウル五輪男子100メートル背泳ぎの金メダリストである鈴木大(だい)地(ち)さんや1984年ロサンゼルス五輪の柔道金メダリストである山下泰(やす)裕(ひろ)さんなどがいる。
- 0系の流線型ボディを作った山下清(きよ)登(と)さん(73)は「この列車を見ると,古き良き時代とその当時に経験した苦労を思い出す。」と話した。
- 山下さんが芥(あくた)川(がわ)賞受賞,直(なお)木(き)賞は恩(おん)田(だ)さんに
- 山下澄(すみ)人(と)さん(50)が小説「しんせかい」で芥川賞を受賞した。
- 山下さんは青年時代に有名な脚本家の倉(くら)本(もと)聰(そう)さんが主(しゅ)宰(さい)する演劇塾に所属していた。
- 「しんせかい」では「山下スミト」がある演劇塾でさまざまな葛(かっ)藤(とう)を経験する。
- 山下_(新潟市)のページへのリンク