小説としての位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 15:58 UTC 版)
シティライツ書店を含めたいくつかの情報源では、『麻薬書簡』を小説とみなしている。1990年代の版の裏表紙によれば、元の一連の書簡が書かれてまもない1953年後半にバロウズとギンズバーグが本書を編集し始めたが、10年近く出版されなかった。 1953年の処女作『ジャンキー』と、本作『麻薬書簡』によりドラッグの作家という強烈な印象があり、確かにバロウズの創作にとって重要ではあるが『おかま(英語版)』など情緒的な一面を持った小説も同時期に創作されている。『ジャンキー』はヤヘを求めて旅発つ前の1951年まで、『おかま』はメキシコにてバロウズが妻の射殺の件で保釈された際がテーマであり、メキシコを脱出し、ヤヘを探しに行くというのが本作である。名家に生誕したバロウズは、大学を出てからスネをかじり続け、ギンズバーグやケルアックと出会うが、麻薬と同性愛を覚え、麻薬所持で起訴されメキシコに逃げ『ジャンキー』を書き上げ、ボーイフレンドとヤヘを探しに行くが失敗し妻を射殺してしまうが、保釈中にさらに逃れるのである。 シティライツ書店からは、1956年にギンズバーグの『吠える(英語版)』、1957年にケルアックの『路上』などビートニクの書籍が発売されている。仲間の『吠える』と『路上』が名声を得ていく中、『ジャンキー』は特に話題を呼んだわけでもなく、40歳にもなりと考えているうちに麻薬の量も増えたが、1956年には立ち直り、執筆を開始しバロウズの名作『裸のランチ』が完成することになる。『裸のランチ』に出てくるイメージはドラッグによる実験結果であり、その多くはヤヘの幻覚を記録したノートからとられており、例えば、円錐の中に居て回転して黒い点になるなどの描写がある。 本作の最初の日本語訳の出版は、原著から3年後の1966年であり、日本にビート・ジェネレーションが伝わってきた頃である。本作の原文は、俗語、卑猥語、ドラッグの用語が多く、飯田隆昭による翻訳は難航し、俗語辞典を引き、在日アメリカ人に訪ね歩いては拒絶されたりといったものであった。
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