小林進 (政治家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小林進 (政治家)の意味・解説 

小林進 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/22 06:04 UTC 版)

小林進 (政治家)
こばやし すすむ
生年月日 日本 新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市
出生地 1910年9月9日
没年月日 (1997-08-06) 1997年8月6日(86歳没)
出身校 中央大学法学部卒業
所属政党日本社会党→)
社会革新党→)
協同党→)
右派社会党→)
日本社会党
称号 勲一等旭日大綬章

選挙区 旧新潟3区
当選回数 11回
在任期間 1949年1月23日 - 1952年8月28日
1953年4月19日 - 1955年1月24日
1958年5月22日 - 1966年12月27日
1969年12月27日 - 1986年6月2日
テンプレートを表示

小林 進(こばやし すすむ、1910年明治43年)9月9日[1] - 1997年平成9年)8月6日[1])は、昭和期の農民運動家、政治家衆議院議員

来歴・人物

新潟県三島郡寺泊町[1](現・長岡市)に生まれる。1928年(昭和3年)北海中学校卒業。1935年(昭和10年)中央大学法学部卒業[1][2]

中央大学卒業後、東京倉庫運輸株式会社入社。その後、幹部候補生の教育を受けて、陸軍主計大尉として終戦を迎えた[2][3]

第二次世界大戦敗戦のショックを経て「これからは余生だ」「人の役に立ちたい」と立候補を決意。1946年(昭和21年)平野力三の自宅を訪れ政治への熱意を語るが、当時新潟には戦前からの有力社会党派閥が既存しており、実績のない小林の入党は断わられる。

1947年(昭和22年)平野力三の紹介にて 日本社会党新潟県連会に入党するも地元3区からの猛烈な反対に遭い、日本農民組合に参加。その後1948年(昭和23年)平野力三の公職追放により平野系代議士を中心に社会革新党が結成された際、小林もこれに参加。1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。

以来日本社会党に移籍し、当選回数11回[2]、社会党代議士会会長、党外交政策委員長、衆議院予算委員会理事、日中友好議員連盟副会長などを歴任し[2]、財務、農政、社会労働、外交に主として活動。

1980年(昭和55年)永年在職(25年)議員として衆議院より表彰[3]

1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界引退。1997年8月6日死去。享年86。

栄典

1985年(昭和60年)勲一等旭日大綬章受章[1][4]

主要著書

  • 『日本農業は、いま』新泉社、1985年。
  • 『百年樹人』新泉社、1985年。

脚注

  1. ^ a b c d e 『新訂 現代政治家人名事典』217頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』246号。
  3. ^ a b 衆議院会議録情報 第093回国会 本会議 第3号
  4. ^ 中野文庫 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典:中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。


議会
先代
石野久男
衆議院逓信委員長
1979年 - 1980年
次代
佐藤守良



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小林進 (政治家)」の関連用語

小林進 (政治家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小林進 (政治家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小林進 (政治家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS