対穴熊の藤井システム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 10:03 UTC 版)
「藤井システム」の記事における「対穴熊の藤井システム」の解説
△持ち駒 なし ▲持ち駒 なし対穴熊の藤井システム▲4五歩まで △井上慶太 持ち駒 歩 ▲藤井猛 持ち駒 なし1995年度B級2組順位戦第29手▲2五桂まで 藤井は相手の穴熊模様の将棋において杉本の指し方をヒントに前述の1992年銀河戦の神崎戦で、▲3九玉-3八銀型に構えて▲3七桂から2五桂、そして▲4五歩と角の利きで攻める指し方を披露しているが、こうした藤井システムに類似した居飛車穴熊に対する振り飛車の仕掛けでは、羽生善治の例が知られる。1995年10月の全日本プロトーナメント、▲真田圭一対△羽生戦で、後手の羽生は四間飛車△7一玉-7二銀型から△7三桂に構え、△4五歩~6五歩の急戦を仕掛けている。また、出雲大社で行われた 1995年11月の竜王戦第3局、▲佐藤康光対△羽生戦では前記同様の△7一玉-7二銀型に△9三桂~8五桂で7七の角をどかして戦端を開く指し方をみせている。 この他、藤井が穴熊に対してシステムを指す前に、久保利明が井上慶太相手に類似の戦型を一週間前に指しており、久保は奨励会時代に▲4八玉型で▲2五桂からの端攻めを愛用していたという。 藤井が穴熊相手に初披露したのは、1995年12月22日の順位戦B級2組対・井上慶太戦であり、47手の短手数で井上を投了に追い込んだ(右図は途中図)。この時穴熊は早くの▲3七桂上がりから▲4五桂の筋を警戒した△6二銀型で、この穴熊について藤井は独自に研究をしていた。 △羽生善治 持ち駒 なし ▲屋敷伸之 持ち駒 なし1997年度NHK杯戦第31手▲4五歩まで しかしすぐに有名になることはなく、1997年度のNHK杯戦で屋敷伸之が羽生善治に対して類似の形を指したときは、羽生が自玉のコビンを攻められ思うように居飛車穴熊に組めずに長考し、解説の田中寅彦もうなったが、ようやく指した羽生の次の一手は△3二玉と戻す手であった。 1998年、藤井はこの戦法を用いて谷川浩司から竜王位をストレートで奪取する。振り飛車は将棋界で息を吹き返し、さらには、ほかの振り飛車の戦法も指されるようになった。 現在「藤井システム」で主流となっている変化は、居飛車穴熊への新たな研究として現れた、言わば新バージョンである。居飛車穴熊が完成する前に角筋を頼りにした縦からの攻めを軸として速攻を仕掛ける体勢と、居飛車側が急戦に持ち込んだときの対策の、両方を兼ね備えた作戦となっている。先手の場合、1筋の歩を突き越し居玉のまま速攻を仕掛ける体制を整え、△1二香と穴熊に囲おうとしたら、▲2五桂から▲4五歩と角筋を通して攻めるが、後手が急戦を仕掛けてきたら▲4八玉から▲3九玉と美濃囲いに移行するというものである。 ここまでの順は駒組みが特徴的なため、真似るのは容易であると思われがちだが、指しこなすのはプロでも非常に難しく「藤井でないと藤井システムは指せない」と言われることもある。
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