家政機関としてのケシク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:40 UTC 版)
主に「親衛隊」として知られるケシクであるが、カアンの身の回りの世話を行う家政機関としての側面も有していた。特に「衣」を掌るスクルチや「食」を掌るバウルチはカアンの生命に直結する仕事であるため、ケシクの役職の中でも重要視されていた。『集史』には1189年の時点で既にケシクの中に「バウルチ(ba'urči:カアンの飲食の世話をするケシク)」が存在していたことが記録されている。ケシク内の家政機関としての役職はケシクが拡大していくに従って細分化され、『元史』には元代のケシク官として以下の役職が記録されている。 職掌職名(モンゴル語音)職名(漢字表記)役目(元史)職務内容コルチ(箭筒士) qorči 火児赤 主弓矢之事者 弓矢の事を掌る シバウチ(鷹匠) sibaγuči 昔宝赤 主鷹之事者 鷹狩りを掌る キルクチ(隼匠) kirküči 怯憐赤 主隼之事者 隼狩りを掌る ジャルグチ(断事官) ǰarγuči 札里赤 書写聖旨 聖旨を掌る ビチクチ(書記官) bičiqči 必闍赤 天子主文史者 書類作成を掌る バウルチ(厨官) ba'urči 博爾赤 親烹飪以奉上飲食者 厨房を掌る ウルドゥチ(帯刀者) üldüči 雲都赤 侍上帯刀者 太刀を携えて護衛する クテチ(嚮導者) küteči 闊端赤 侍上帯弓矢者 弓矢を携えて護衛する バルガチ(倉庫番) balγači 八剌哈赤 司閽者 倉庫[の門]を掌る ダラチ(酒官) darači 答剌赤 掌酒者 酒を掌る ウラガチ(馬車馬官) ulaγači 兀剌赤 典車馬者 馬車馬を掌る モリンチ(牧馬官) morinči 莫倫赤 典馬者 馬を掌る スクルチ(傘持ち) sükürči 速古児赤 掌内府尚供衣服者 衣服を掌る テメチ(牧駝官) temeči 帖麦赤 牧駱駝者 駱駝を掌る コニチ(牧羊官) qoniči 火你赤 牧羊者 羊を掌る クラガチ(取締官) qulaγači 忽剌罕赤 捕盗者 盗賊取締を掌る コルチ(奏楽官) qorči 虎児赤 奏楽者 音楽を掌る バアトル(勇士) ba'atur 覇都魯 忠勇之士 戦士 家政機関としてのケシクの役職は、元代に入り官僚制が整備されると官府に所属して職掌を遂行するようになった。名前こそ中国由来の官府になったものの、実態としては該当のケシク官が官職を兼ねて活動するため、実質的にケシク官が名称を変えただけの存在である。 例えばカアンの食事に携わるバウルチはまずクビライ即位直後に設置された「尚食尚薬局」に所属し、至元14年にはこれが「尚膳院」に昇格し、至元18年には「宣徽院」と称するに至った。更に宣徽院には太医院・拱衛司・教坊司・尚食・尚果・尚醞という下位部局が設けられていたことが記されており、元代においてケシク内の役職が相当細分化されていたことを示唆する。 マルコ・ポーロの記す『東方見聞録』には宴会の際に「しかるべき席を指定する役目の高官」や「給仕する数名の高官」がいたことが記されるが、これらはそれぞれ宣徽院=バウルチに属する高官であり、前者が「拱衛司」、後者が「尚食・尚果・尚醞三局」に相当する。また、「教坊司」は宴会の際に行われる大道芸の芸人たちを管理する者達の役職名であったと推測されている。
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